明日世界が終わるなら@滅びの前のシャングリラ
凪良ゆうさんの『滅びの前のシャングリラ』を読了。
シャングリラとは一般的に理想郷のことをいうらしい。
私は凪良ゆうさんの作品が大好きだ。
どの登場人物ももがきながら苦しみながら、世間に対して「もうほっといてくれ!」と思いながら生き、そして死んでいく。
死ぬことさえもその人の選択肢として残してくれている凪良さんの愛が私には心地よく感じる。軽はずみに死んではいけない。命は大切だ。
でも、その人が死ぬことで幸せを感じるならそれはそれでいいじゃないか。
そんな風に言ってくれている気がする。
凪良さんの作品には色々な「愛」の形が存在する。
元々BL作家さんだったからというのもあるだろうが、
特別、「親からの愛」や家族に対する愛情や一口では言えない複雑な感情にフォーカスが当たっていることが多いと思う。
色んな形の愛があっていいし、その愛をどう受け取るかはその人次第なのだと数々の作品をみて思った。
例えば今回の作中には、あるヤクザがでてくる。
この人は女にも容赦なく手が出すし、手を出すことでしか感情表現ができない。一般的にいうと最低な男だ。
もちろん、そこに至るまでにはその人自身も暴力を親から日常的に受けてきという過去があるのだけれども。
こんな男に愛を語る資格はない。と最初私は思った。
そもそもこんなクズ男を心から愛する人っているのか?
そんな人がいるとするなら、それってどんな感情でその人のことを愛しているのだろうか?
憐れみ?お情け?そんな男を愛する理由は私には全く理解ができない。
そんなことを思いながら読んでいた訳だが、
こんな男にも心から愛する女はいるし(暴力は振るうが)
こんな男を心から愛する女も登場する。
どんな歪な形であってもそれは「愛」なのだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
そいった形の「愛」が存在する。
ただそれだけの事実でしかないのだ。
それを他者は否定することも肯定することも必要ない。
それを本人たちが望んでいるかも限らない。
(私はこういったとき高らかに肯定したくなってしまうんだけれども)
そういった心情をを登場人物のバックグラウンドに沿って、丁寧に描いてくれているので、読者は素直に受け取り感じることができるのだ。
凪良さんって何個人生を歩んできたんだろ。
よくこんなもの書けるな。
私はあなたのバックグラウンドが聞きたいよ。
いつかエッセイ本を出してくれ。
必ず買うから。
話が脇道にそれた。
さて、今回考えたいのは「明日世界が終わるなら」。
ということだ。
物語の中で登場人物たちは思い思い最後の道を模索する。
一か月後に世界が滅びるなら、法律や道徳やすべてのものが世界から一つ一つ消えていく。常識から逸脱していくのだ。そういった「常識」といったしがらみは「死」の前には何の意味もなさないのだと気づかされる。
ほんとに死ぬ前にしたいことはなに?
やり残したことはなに?
最後に何を食べ、何をし、誰と一緒にいたいのか?
そんなことを自分だったらどうだろうと以下置き換えて考えてみることとする。
もし一か月後、世界が無くなってしまうなら。
まずは古民家に引越す。
兵庫の宝塚市にしよう。宝塚見に行きたいし。
友達にも容易に会いに行けるし。神戸から新幹線で地元にも戻れる。
最初の1週間くらいで引っ越しと家具集めをする。
縁側のある部屋で猫が走り回れる3DK以上の部屋に。
キッチンは広めで作業しやすいのがいい。
大正ロマンとカントリーと純喫茶みたいな色んな要素がある家にする。
ベッドはカントリー調の木のベッドがいい。
照明はすべてレトロな感じにして、ランプシェードをこだわりたい。
窓もすべてステンドグラスにする。
ダイニングにはラウンドテーブルを置いて、赤のチェックのテーブルクロスかヨーロッパ風のテーブルクロスをひく。
そこに毎日大好きな人を招く。
まず家族を。母親、妹、祖母。
何日間か居てもらって、その間におかいさん(茶粥)をみんなで食べたい。
ホットプレートを買って、豪勢に焼肉を食べる。
おかいさんと焼肉。これで決まりだ。
母親と妹には飛びっきりのハグをしよう。
妹には「お前は生きているだけで大丈夫なんだよ」と伝えたい。
そのあとに友達を招く。
高校の友達2人を呼ぶ。ここ2年会ってない。
電話で話したり、オンラインで会ったりはするが、
リアルで会いたい。最後だし。
かわいい民芸や作家物のお皿に玄米ご飯を炊いたのと(あ~土鍋で炊きたい)、おいしいお料理を並べる。
お酒は折角だから、私が漬けた梅酒をみんなに自慢げに見せたあとで
飲んでもらおう。
でもケーキも食べたいな。ぼってりとしたやちむんのお皿にケーキを盛って
木のスプーンで食べたい。
高校のときの話やお互いの好きなものについてとか他愛のないことを話す。カラオケにも行きたいな。
GReeeeNのオレンジとか湘南の風とかアナ雪とか西野カナとか宇多田ヒカルとかを歌う。最後はゴールデンボンバーの「女々しくて」で締める。
いつも高校のときジャンプしながら最後に歌ってた曲だ。
大学の友達とはゼミ5人の友達と先生(恩師①)で海外旅行にどこでもいいから行きたい。あのメンバーならどこに行っても楽しいだろう。
国内はみんなで沢山回ったから社会人になったら海外行こうねってみんなで言ってたし。3泊4日くらいで。一日はホテルでダラダラ過ごす日を作りたい。きっと友達のうちの一人が地酒を買ってくるだろうから、それをゼミのみんなが飲んでいる姿をみていたい。日本国内だったら、史跡をめぐって
あーでもない、こーでもない、昔の人ってほんとすごいよね。
やっぱ歴史っておもしろいねって皆でいいたい。
あとはボードゲームだな。恒例となってるボードゲーム大会をする。
ちょっとコアなボードゲームがいい。
日本100名城すごろくとか。
みんな変わらないね~とか言ったりして幸せに浸りたい。
そして先生が「ここは全部僕におごらせてくれ!!」と叫ぶ。
そんな日常をもう一度見たい。
(まぁ世界が終わらなくても割と一年に1度くらいはこんな感じなんだけど)
恩師②
私を田舎に誘ってくれた恩師においしいお酒とともにお礼を言いに行く。
そしてその酒を大いに飲む。二日酔いになるくらいに。
価値観を変えてくれてありがとうございますということと
こんな大人がいることを教えてくれてありがとうございます。
なんか生きるのが楽になりました。とても。
こないだ別れた彼氏。
別に嫌いで別れた訳じゃないから、一旦連絡を取る。
世界終わるらしいけどそっちはどうすんの?って。
あなたを愛してる人が一人はいるってことを忘れないでねって言う。
今住んでいるところの友達たち。
田舎暮らしの基礎や楽な生き方を教えてくれてる大切な友人宅に行く。
おいしい料理をふるまってもらう。
そしていつものように悩みを聞いてもらう。
でも世界が終わるから、悩み何てないのかな?
いや、私のことだ。悩んでるな。
「○○ちゃんはそのままでいいよ!よし!やりたいことやりな!」
といつものように元気づけてもらう。
お父さんに会いにいく。
沢山のハグをしてもらう。生きていたら。
そして最後はやっぱり自分の城へ帰りたい。
かわいいかわいい私の古民家へ。猫たちがいる古民家へ。
最後の最後はルームシェアしてた友達を呼ぶ。
世界が終わるならきっとこの友達は家族のもとに帰るだろうけど、
まぁ一旦私の世界が終わるだけなら、わがまま言って最後のとき居てもらおうかな。
まずは料理作りから。二人でできるものがいい。
餃子とかでもいいし、上手いおつまみを沢山作ろう。生ハムにクリームチーズに湯葉に、たこわさ。
ファミマで買ったサワークリームオニオンのポテチ。死ぬ前だし2個くらい買おう。これがうまいんですわ。いつも「出会いたくなかった一品だよね」って言ってるやつ。
あ、マックでもいいな。
マックの三角チョコパイを二人で口を汚しながら豪快に食べたい。
お菓子作りもしたい。友人は器用だから最後のデコレーションを任せたい。
料理が揃ったら、テーブルセッティングは私がする。
ランチョンマットを2つひいて、箸置きもちゃんと選んで。
あぁ至福だ。
二人で作ったからおいしいよね~とか絵本でしか見たことないようなこと二人で言う。
夕方くらいになったら、「お風呂入るのだるくない?」「え、銭湯行っちゃう?」とか言って二人でスーパー温泉へ。
お風呂でぼーっとして、癒されて家に帰る。
「風呂をイベント消費したね~」って帰り道マックのポテト食べながら話す。
そして飲み会へ。
プロジェクターかipadで宝塚映しながらしゃべる。
とにかく話す。二人のパーソナリティについてとにかく話す。
本を一緒に読む時間も作りたいし、その時はレコードで昭和歌謡を流したい。(カルメンとかUFOとか年下の男の子とかプレイバックとか)
お酒がなくなったらコンビニに買い出しに行く。
ラーメンとか夜食も買っちゃう。
太ると分かっていながらご飯も後で入れる。なぜなら世界は終わるから。
太っていても別に関係ない。死ぬし。
「血糖値爆上がりして眠くなってきた~」っていって、そのままソファかベッドへ。友人は「私は絵を描くか、本読んでる」っていつものように言う。
15分だけ仮眠するって言って目を閉じる。(猫はタイミングよく私の近くで寝そべっていることとする。)
で。世界は終わる。
隕石がぶつかってドカンだ。
最高じゃないか。最高のシナリオだ。
こんな日常の中で死が訪れたら幸せだと思う。
もちろん、やりたいこと全部やってからだけど。
これで思い残したことと言ったら、結婚しなかったこととか
子供を作らなかったことくらいだろうか。
運命の人に巡り合えなかったことを死ぬほど後悔しそうだ。
でも、現時点で1か月後に世界が終わるなら、男探しをしている時間はなさそうだし、初対面の男に会う時間は惜しい気がする。
もし彼氏やパートナーがいたら、最後はその人と共に。とのたまうのだろう。その時は二人で料理を作りたい。
書いてみて思ったことは、
意外と自分は平凡で幸せな毎日を送っているということだ。
死ぬ前にしたいことなんて私が思いつくことの数々は意外と平凡だったということ。
どれもお金があれば大体できそうだ。
(運命の人に出会うはお金があってもできないけど)
でも、「滅びの前のシャングリラ」ではお金はもう意味をなさず、
基本奪略だったしなぁ。うーん、難しい。
結論、私にとってのシャングリラは
おいしい手料理とかわいい皿、そして素敵な家に愛すべき友人や家族たち。
それがすべてそろった状態なのだろう。
なんだ。意外とできそうじゃないか。
頑張れ私。
これを読んでいる皆さんはどんなシャングリラを持っているんだろうか。
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