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"トラウマ"の原因は何なのか、という事について。

「傘を忘れた日に限って雨が降る」
たまに誰かがこのような表現を口にしているのを耳にする事がある。

雨の日に限らずこの類の表現たちというのは
時に"トラウマ"にも直結してしまい我々の心を苦しめる。
このような人間の心理的バイアスを"錯誤相関"と呼ぶ。
他にも例を挙げると「雨女」、「晴れ男」や「四葉のクローバーを見つけると幸せになれる」などである。

四葉のクローバーの例のように
それが「良い思い込み」であればぜひ大切にしたいものだ。
しかし最初にも述べたようにその思い込みが 自分を苦しめるトラウマと化してしまうものであれば対処が必要だと個人的には感じる。  

それらの思い込みには当然ながら"根拠"がない。
仮にそれらの思い込みが"事実"であれば
人間が皆同じ星で暮らせるわけがない。
個人個人が天候や環境を都度都度変化させてしまっては我々も地球ももたないだろう。

ではどうして人間は自分にとって良い思い込みだけでなくわざわざ自分を苦しめるようなトラウマを抱いてしまうのだろうか?

「傘を忘れた日に限って雨が降る」を例にとってみる。

それは傘を忘れた日にたまたま強い雨に打たれてしまうと
「強い雨に打たれた記憶」と
たまたま「その日に傘を忘れていたという失敗や後悔」が綺麗に頭の中で混合してしまうからだ。

インパクトの強い記憶をその状況下での「要素」たちに一部"責任転換"したいという心理だと個人的には思っている。
なんにしろ、「強い雨に打たれた記憶」には
強い感情的体験が伴いがちである。

今回のこの「錯誤相関」の知識は心理学の本ではなく実は「統計学」についての本で学んだものだ。
このような心理的バイアスの"存在"を
勉強し把握する事によって
普段の自分の感情や心理を客観視する事が可能になる。
「統計学」の世界では
「天候」と「人間のミス」の関連性を
全て場合分けして分析し相関関係が明らかになってはじめて"事実"といえる。

「統計学」なんかは
堅苦しい印象を抱きがちだとは思うが
そのような客観的な考え方の"存在"を知るだけでも意外とそれらは自分なりの
"幸せ"を掴む助けになってくれたりもするのだ。


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