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良い人間関係を目指していた僕の思い込み❶

"「素の自分をさらけ出す」ことは、「本心で本音をぶちまける」ことと同じなんだ "

僕は最近までこう思い込んでいました。
僕は今まで
裏表のない「素」の自分を出して
恥やプライドを一切捨てて
人と接することこそが
お互い気をつかわずに気楽に
会話をすることができるものだと
思っていました。

飾っていない自分の理想の姿をイメージしながら
ある時僕は人と会話をしたのですが
その時の僕は

"ありのまま"の自分を出すために
僕は会話をしていく中で
思ったこと感じたこと、
今まで思っていたこと感じていたことを
100%そのまま相手に伝えていました。

そのような正直すぎる意見を相手に伝えることができた時
自分としては少しスカッとはしたんです。
しかし、相手との考えが
あまりにも違っていた為に
相手の期待や気分をぶち壊し
不愉快な思いをさせてしまったように感じました。
その姿をみて罪悪感が半端ではなかったのです。

そしてよく考えてみると
自分としてもそんな自分は
なんとなく「飾らない」ように意識して
いたことでその意識に執着していて
頭の中ではその意識ばかりがループしていました。
そのせいで会話の内容もあまり頭に入りません。そんな自分は客観的にもとても"不自然"なんだろうなと感じたし
意識と無意識のギャップから
相手の仕草や言動に敏感に反応してしまうことで余計なことをいろいろ勝手に考えてしまっていました。

こんなの全然お互いの幸せに繋がっていません。

先日仲が本当に良い友人にも
本音をぶつけたことがありました。
その時つい過剰な表現を使って
相手を苦しめ大喧嘩になってしまったのです。

いくらどれだけ仲が良かろうと思っていること全てをぶつけるのはいけない。
以心伝心していると感じている親友も例外ではない。
そんな親友でもどこかにお互いのズレが生じていた場合相手が「裏切り」を抑えてわずかにでも気を遣ってくれているかもしれないということを忘れてはならないと思っています。

今までの経験から学んだことがあります。

「喧嘩するほど仲がいい」とは言い切れない程に「気を遣わないほど仲がいい」とは言い切れない。

つまり
「素」をだすことと「本音」をぶちまけることはまったく違うのだということを
感じました。

読んでいただきありがとうございます😊

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