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【エッセイ】海を見に行く

今日は、海を見に行こう、と決めていた。

歩いて5分ほどで海に着くのに、近いがゆえに、
わざわざ目的地にすることが減っていたのだ。

海を見ると決めて、最初に浮かんだ場所は、高台の公園だった。
平日は、人の気配が、ほとんどないところ。

この先に、お気に入りの景色がある。

急勾配の階段を上ると、眼下に町並みと水平線が広がる、眺めのよい公園なのだが、
階段の途中で、大きな猿がガサガサと走り抜けてゆき、
短いしっぽをぴんと立てて、こちらを見つめてきたので、
もしや熊などに出遭ってはかなわないと、早々に退散してきた。

空と海が、どこまでも広がる。
海のそばで暮らしている。

歩いていくには遠いそこを、第一の目的地に選んだのは、
今日の私が、海そのものよりも“海のある景色”を求めていたからだ、と気づく。

高い場所から、遠くまで見える海と空が好きなのだ。

砂浜から少し離れた場所。
足もとには、花が咲いている。

身の安全には代えられないため、徒歩圏内の海辺に、目的地を変える。

風が、肌をするりとなでてゆく。
水平線が見える前に、磯の匂いが鼻に届く。

近くの海は、海というよりも魚のにおいが強いのが、実は苦手だ。

昔ながらの漁師町で、猫の通り道のような路地が、そこかしこにある。

海辺の猫たちは、しなやかに通り抜けてゆく。

薄曇りの日は、空と海との境界線が曖昧になる。

茫洋とした色彩。

川と海の境目も、曖昧だ。
河口には、波が打ち寄せている。

潮の加減によっては、海に流れ込む水より、川に寄せる波のほうが大きい気がする。
どこからが海水で、どこからが淡水なのだろう。

波が打ち寄せる河口。

砂浜を歩く。
湿った砂の上は、踏みしめるほどにふかふかと沈んで、心許ない。

波打ち際の、足もとの危うさ。

海に真正面から向き合っていると、そこから一歩も動けなくなる。
波がおいでおいでと渦巻いて、足元から攫っていかれる気がする。

空と海が曖昧な日ほど、私が今いるはずの世界も、ぼんやりと歪む。
淡いパステル画みたいに、私の輪郭も曖昧になって、そのままどこかへ溶けるんじゃないだろうか。

子どもが学校から帰ってくる時間だ。
私も海を振りきって、踵を返す。

もしも家族がいなかったら、ふらりと散歩に出たまま、帰らないのかもしれない。
たぶん、真っ先に神隠しにあうタイプだ。

そんなことを思うぐらいには、海に没頭した一日だった。

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