進撃の巨人4期1話をみて 4年1組 レモンの苗木

巨人という理解できないものへの恐怖と人間への恐怖、観終わった直後は全然別物だと感じていた。
戦争という大義名分の元に、人間がひたすら人間を殺している。巨人を武器にして。「お前に心とかないのか?」と思う殺し方ばっかり。戦争描写が主で、登場人物がほぼ出てこないOPも含めて、かなり衝撃的な絵面の1話だった。

今期1話の衝撃と比較して、1期の1話を思い出した。
私、1期1話観て泣かなかったことないのね。お母さんがエレンのために毅然とした口調で逃げるよう言うけど、いざ逃げたらその後ろ姿に泣いちゃうわけじゃん。その愛と生への執着に絶対泣いてしまう。
でも4期1話は一切泣けなかった。人が人をオモチャみたいに殺していくのがただただ恐怖だった。

4期1話を観たあと、なにか引っ掛かりを感じて、ずっと考えていた。
なんか、戦争以外の選択肢がないことがあまりにも「当然」すぎるんだよな。

失った仲間を悼むシーンとかもないし、戦闘不能の敵を助けたら「変なヤツ」。パラシュートで降りるエルディア人の兵士は笑ってた(ここ超怖かったな……)
爆弾を巻いたモブ兵士が怯えるシーンはあるけど、それは風景の一部で話の枝葉でしかない。あの扱いは人間じゃなくて小道具のそれだと思った。「戦争の記号」として取ってつけたように描かれてる人間の感情が心底おぞましかった。
(ファルコが疑問持ってるっぽく感じたけど、どうなんだろう 原作はいつも後追い履修なのでわかりません)

泣けなかったのなんでだろうってずっと考えてたけど、個々の感情が瑣末なものとして描かれてたからかもなと思った。
この回の最初から最後まで、戦争に前向きなことは正当な価値として描かれてる。
なぜなら戦争に勝つことは力の証明で、自由への一歩で、最高のカタルシスだから

観ながらこんなのおかしいよって思ってたけど、相手が巨人から人間に変わっただけで、進撃の巨人は初めからずっとそういう話だったような気がする。1~3期で、戦わずに逃げたり命乞いしたりする兵士を見て同情した一方で、勇敢に戦うエレンたちを見た時には私もカタルシスを感じていた。巨人が死んだ時は無邪気に「やったー!」と思った。
巨人を倒すことは絶対的な正義として見れるのに、人間を殺すことはそう見れないのはなんでだ?
巨人は理解できなくて怖いけど、人間へはそれと違う恐怖があると思っていた。本当に? 私たちは言うほど人間を理解してるのか? マーレ軍や中東連合軍にとって、敵軍は巨人みたいに見えてるんじゃない?

私たちは恐怖をいつも他人事にする。
「自分と違う世界の話だから」と言って物語を分ける。「化け物が」「変質者が」「異常者が」やったことだから。自分には理解できないし、理解しなくていい。悪は自分とは無関係で、自分がそっち側になることは絶対にないと信じきっている。

思い返せば、違和感の種は少しずつ与えられていたように思う。2期OP『心臓を捧げよ!』の歌詞が軍歌みたいで不気味だなとずっと思っていた。

全ての犠牲は今、この瞬間のために

奴らは憎悪をすべき敵だ

それ以外の価値観は認められないかのような書き方。これ、鼓舞のように聞こえて強制なんだと思う。
軍歌を軍歌たらしめるのは、戦争に勝つ以外の価値観が介在しないその歌詞だと思う。高らかに「正解」として歌われる憎悪、これはもう完全にあの世界の軍歌だ。

少なくともマーレ軍は、敵軍を倒すことに対して、私が巨人を殺すのを見る時に感じてたのと同じカタルシスを感じてるよな。
最初、人間への恐怖は巨人へのそれと全然違う恐怖だと思ったけど、それは私が「巨人は私と別物だ」と思ったから生まれた発想だ。
そして、そういう「自分側じゃないもの」への視点の欠落がもう既に、人を殺めてもなんとも思わない自分になる可能性をはらんでるのかもしれない。

私はずっと、戦争で人が死ぬのはおかしいと思ってきた。けど、私に「私側じゃないもの」への視点が欠落していたら、いつでも戦争をなんとも思わない自分になり得ると思う。
怖いね。これも他人事かな

ていうか私アルミンとユミルが好きだからそのへんがどうなるのかも気になるんだけど、なんか全然そんなこと言ってる場合じゃなくなっちゃったな どうなっちゃうんだこの話? ほんとにこのシーズンで終わるの? まずエレンたち海見たあとどうなったん? PV的にマーレ軍と戦う感じなんか? 続きも観ます! 感想を書けるとは限りませんが!

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