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「繋げる」はじめます。

どうもはじめましてマスモリです。
某松陰神社前古書店店主某イラストレーター兼リボンアーティストの友人達にケツを蹴り上げられながらようやく重い腰を上げてコレを書いてます。

僕がここで書きたい事、それは「繋げる」というテーマ。

物事を単一的に考えたり捉えたりするのではなく、例えば全く異なる二つのものに自分なりの共通項を見いだし繋げてゆく。
そうした思考のロジックを、僕の経験談を交えながら綴っていこうと思います。

第一回目は僕の思考の原点となったPUNK/HARDCOREシーンでの原体験から。

元々「音楽」としてのPUNKやHARDCORE、HEAVY METALは中学・高校時代から触れてました。
僕が青春時代を過ごした80年代はアンダーグラウンド・ミュージックシーンの百花繚乱時代。当時札幌にはおっかない先輩方が沢山居て、パンク以外は認めないとかメタルを聴いたら××××すとか色々と物騒な噂が飛び交っていたのですが(あくまで噂ですよ)僕が通っていた学校は山の上だったのでそういう抗争に巻き込まれる事も無く、ジャンル関係なく好きな音楽を好きなだけ聴き、健やかにハイブリッド化の道を辿っていきました。
今思えばこの辺りから今に繋がる思考の礎が出来つつあったのかなーと思います。

その後チャラい音楽を聴きまくった大学時代を経て、時は1994年春。
とある企業に就職します。当然のように北海道勤務だと思い込んでいた僕を襲ったのは「東京営業所勤務を命ず」という赤紙でした(当時は北海道を離れるなんて1mmも考えていなかった)。
入社直前に知らされたこの事実を受入れるのには相当の葛藤がありましたが、とにもかくにもまずは三年間、頑張ってみようと上京を決意。

東京営業所、といっても実際には千葉県の松戸市。そして津田沼に居を構えたひとりぼっちの僕を支えてくれたのは高校卒業以来離れていたあの激しい音楽達でした。

当時津田沼には「DISK UNION」や「マニアック」といったラウドミュージック・ラヴァーにはお馴染みのレコード(CD)店があり、PUNKやHARDCORE、METALバンドの素晴らしき音源の数々が眠っていました。
まるで金脈を掘り当てた鉱夫の如く、はたまた鉱山跡でボロボロになったLEVI'Sの端切れを発掘するヴィンテージ・ハンターのように。
ひとりぼっちの寂しさを埋めるが如く掘っては聴き、また掘りに行きの繰り返し。
レーベルでいえばHG FACTやsnaffy smile、LESS THAN TVに殺害塩化ビニール。海外だとVICTORYやNEW AGE、Equal VisionにDischordやAlternative Tentaclesなどなど。
もうほんとに雑多。おそらくは僕の音楽人生で最も多様なジャンルを聴いたのがこの頃だったと思います。

様々な音源を聴き漁るうちに或る感情が沸き起こります。
(ライブが観たい。)
当然のように大都会東京には数多くのバンドが存在し、日夜熱いライブを繰り広げていました。
様々な音楽を聴く中でとりわけ一番ハマっていたのがNYHC(ニューヨーク・ハードコア)やニュースクール・ハードコア(この呼び方には色々語弊があるんだけど、伝わりやすいかなと)というジャンル。
当時日本にはまだそんなに大きなシーンはなかったと記憶してます(勿論バンド自体は80年代から居たし、小さいながらも各地にシーンらしきものも存在していた)。
そんな中、ユニオンで面白そうなイベントのフライヤーが目に飛び込んで来た。

「SUNDAYSCHOOL OF HARDKNOX」

二色刷りの洒落たデザインのそのフライヤーを手に取り、はるばる北区は王子まで足繁く通う事になるのでした。

(つづく)

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