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私について~保育士時代①~

私について。


30代のワーママ。現在育休中、二人の娘を育てています。

どんな人生を過ごしてきて今があるのか、振り返りつつ自己紹介を。

書いているうちにめちゃくちゃ長くなると思ってきたので、少しずつ書いていこうと思います。

では。




両親が共働きで幼いころから保育園に預けられており、保育士さんが身近な存在だった私。

将来保育士になりたいと思い専門学校で資格を取得し保育士として数年働いた。


でも保育士になって気付いた。



「私、集団行動が苦手だ…」


上の集団行動、という意味は、団体が苦手でいつも一人でいたいという事ではない。

みんなで何かをすることも好きだし、

学生時代はキャンプやスノボに友達とよく行ったし、

新しい人達と出会って、話すことも好き。


だけど、保育園によくある「みんなで同じ時間に集まって同じことをする」ために、

まだまだ自分のペースでやりたがっている子を半ば強制的に集めたり、

時間制限があるがゆえにその子の育ちを手助けしているふりをして、できるのに手伝ってしまったり、

リーダーとしてみんなを取り残すことなくみんなを引き付けておくような「なにか」を毎日何度も用意しなければならないことに、

疲れてしまった。



これらは決して、そうしなさい、と先輩方から言われてやったわけじゃない。

10年以上前の私は、

保育士である以上そうしなければならないと思っていたし、魅力的な手遊びや歌や話…それらを子どもたちに提供すること、一緒に楽しむことも保育士の努めであると思っていた。

でも、それをすることが段々と苦しくなってきたのだ。

今考えると、「こういう保育士であらねばならない」という雁字搦めの思考のなかにどっぷり漬かっていたのだと思う。


私の働いていた園は、一斉に皆で同じことをするという時間がとても少ないし、

一人ですべてをやらなければならないという環境でも保育方針でもなく、チームみんなでそれぞれの良さを活かして保育をするので周囲にサポートもしてもらいやすいし、

リーダー業務をするのは週変りだったので、毎日毎日自分がリーダーをしなければならないわけでもなく、

多様性を認め合う環境もあった。


それでも、自分がリーダーの週は何だか気持ちが冴えなくて。

例えば給食の前にテーブルに子どもたちが集まる場面。リーダーが声をかけてみんなを集める。

20人いたら、18人の子は自分が前に立って何かをするととても楽しそうにキラキラした目でこちらを見つめて、一緒に楽しそうに取り組んでくれる。

でも、その中で遅れてしまう(←そう表現するのも嫌なんだけど。)子もいて。

自分の心の中では、それでもいいじゃん、自分のやりたいことやって遅れて給食たべてもいいじゃん。

て思うんだけど、サブリーダーの先生は「MISAKI先生、楽しそうなことやってる~」みたいな感じで子どもたちを集めてくれる。

みんなでいただきますをするために集まっているんだからその行動は当然だし、「おいで~」と呼んでいる自分もいるんだけど、

一方で(あー、もっとあれやりたかったんだろうな)と(今はまだ来たくない気持ちなんだろうな)と思っていて。

そういう中で自分がリーダーとして前にたっている、という事が段々辛くなってきてしまったのだ。



(今思えば「そう考えている自分自身」を認めることができていなかったし、そうでない保育をしたいんだ、と発信することを考えたこともなかった。ある程度集団で動かなければならないという保育園という場所では、それが当然だと思っていたのだ。)


当時の私にはそのようにモヤモヤとした気持ちを俯瞰する時間も思考もなかったので、少しずつ苦しい気持ちが溜まっていった。

どうしても、集団に働きかけることが多い中で、保育士としてそれが苦手である自分、好ましいと思っていない自分、そんな自分が保育士をやっていていいのか…と悩むことも多くなった。


周りで一緒に働く同僚や先輩も大好きだったし、子どもたちが日々成長していく側に寄り添える保育士という仕事はとても素晴らしいし、保護者の方との関係も良好だし(もちろん色んな保護者がいたけれど)、1年目で担任をした子どもたちの卒園も見届けたい。

でも、このままでは「保育」や「保育をしている自分」を嫌いになってしまいそうだと思った。

他園に転職も考えたけれど、こんなに恵まれたメンバーと環境の中で辛いと思うのなら、例え他の園に行ったとしてもまた同じように、むしろ今以上に辛くなるのかもしれない、と思った。


続く

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