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薬師如来とキリスト教

薬師如来信仰は、キリスト信仰に似ている。

大乗仏教の時代(1世紀から2世紀)に、病気を癒すために祈る習慣が始まる。そして薬師如来の信仰が始まった。それまでに、仏教には体の癒しのために祈るという習慣はなかった。

<医王と12神将>
薬師如来には、その薬師如来の名前を聴くと癒されるという教えがある。薬師如来は医王と呼ばれる。

薬師如来の周りには、12の神将が描かれる。
イエス・キリストを描く時、初代教会ではイエスの周りに12の羊が描かれる。12の羊は12使徒でありイスラエル12部族。

新約聖書:マタイ10:01 に、
 イエスが弟子たちに、悪霊を追い出し、病気・患いを癒す権威を与えた。
と、ある。
→イエスは医王だったという事だ。イエスの12弟子は12神将だ。

<主の名を唱えることで救われる>
キリスト教には、「主のみ名を呼び求めるものは誰でも救われる」という教えが初代教会からある。
仏教では、「南無阿弥陀仏と唱えると救われる」とか、当初、お釈迦様の時代にはなかった教えが加えられている。キリスト教の伝統を仏教に取り入れたのだと思われる。

<キリスト教を伝えた秦氏の一族>
(情報元動画1時間13分)
イスラエルの東、中央アジアにバルハシ湖があり、イリ川があり、天山山脈がある。イリ川沿に、弓月(クンユエ)と呼ばれる地域がある。この呼称は中国人が呼んだ名前で、土地に住む人は自分たちの場所をヤマトゥと呼んでいた。
この、ヤマトゥは秦氏の故郷である。

<秦氏と天狗>

<秦氏と大和、太秦>
ヤマトゥを、ヤ・ウマトゥと分けるとすると、
ヤは、ヤハウェイの省略形
ウマトは、民の意味になる。ヘブライ語である。

日本で秦氏が一番多く住んだ場所は、大和地方。
京都の太秦にも住んでいたが、ウズマサは、彼らの先祖の母国語で「第一の都市」の意味になる。ウズ=第一、マ=の、サ=都市。秦氏の第一の都市として、太秦の字にウズマサの音を当てたと思われる。

<景教>
秦氏は景教の人であると言われる。景教とはキリスト教のネストリウス派の一つであり、その祖はユダヤ人。
ネストリウス派は、古代キリスト教の教派の一つであったが、431年に異端認定され信徒はペルシャ帝国に移動し、その後、7世紀ごろに、教えと信徒の血族が、中央アジアへと伝わったと言われる。

<年代>

秦氏はその後中央アジアから百済へ。
283年に百済から日本に帰化。
秦氏建立の伏見稲荷は、708年から715年創建と言われる。


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