中年の危機 VS ファッション
30代後半になって、遅ればせながらファッションが好きになってきた。
なぜこの年になって急に興味を持ち出したのか。
それは服をちゃんと着ることで、励まされる想いがするからだと思う。
思うに、自分にも中年の危機というものがあって。
終わっていく自分に対して、残念な気持ちになる。
「この先、ただ衰えていくだけで、何にも楽しいことなんてないんだろう。」
言葉にするとそんな想いだ。
もちろん、それは一定レベルで事実ではあるのだけれど、事実だからこそ、それに囚われて毎日をネガティブに過ごすのはもっと無意味だと思う。
けれど、なんせ身体のことなので、有無を言わさぬ影響力とか説得力がある。
しかしそこでファッションの力を借りると、
「あ、自分、まだまだいけるな」
なんて気分になるのである。
なにをもって「いけるな」と思うのかわからないけど、それは異性へのアピールでもあると思うし、単純に服を楽しめることへのうれしさでもある気がする。
最近、ことさらに思うのは、
知性よりも感性を育てたい
ということ。
知性とは、知識とか情報、その混ぜ方(と、しておく)
感性とは、五感から入ってきた刺激に対する美意識だ。
服における感性の側面は、目で見て感じるデザインの美しさ、肌に触れて感じる心地よさなどだと思う。
中年の危機が体の変化に由来している以上、感性でもって克服していくほうが良い気がする。
それを知性で解決しようとすると、他人と比べたり、社会を恨んだりする方向に行きかねない気がするのだ。
そう思うと、人生の先輩達が花鳥風月を嗜んだり、運動に勤しむようになる理由がわかった気がした。
みんな感性を鍛えているのではないだろうか。
翻って服の話に戻り、そうなるとやっぱり「感性のある服」を着たいなと思う。
つまるところ、いちど「天才デザイナー」がつくった服に袖を通してみたい。(できれば買いたい)
理由は後から色々つけられるだろうけど、とりま
「美しいから、美しい」
そんな服を体験してみたい。
とりあえず貯金して、コム・デ・ギャルソンから買ってみようかな。
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