「ぶっちゃける」だけじゃダメで
ブランキージェットシティーというロックバンドの「ディズニーランドへ」という曲をご存知でしょうか?
この曲は、
”ノイローゼになってしまった友達”が登場して、その友達にディズニーランドへ行こうと誘われたけど、気が狂っているそいつとは行きたくない
という内容の歌詞です。(説明していてもすごいな)
そうゆう”ぶっちゃけた”内容って、今は珍しくないと思うんですね。
”きれいごとじゃないこと”を言うと、賛否はあれど、共感も得られやすい。
正直で、信頼できる、そんな自分を演出することもできるでしょう。
有り体に言えば、数字が稼げるのでマーケティングとして”本音”を発信する、本音を装う人は増えている気がします。
ところがベンジー(作詞した浅井健一さん)のすごいところは、そんな単純な”ぶっちゃけ”で終わらないところ。
この曲の最後は、
と結ばれています。
「たしかにそう思った」「でも、やっぱり違うかも」「それじゃダメなんじゃない?」
そんな葛藤をしっかり描いて終わっているんですね。
ここにわたしはリアリティを感じます。
人間とは、白黒ハッキリ分かれる存在じゃない。
いつだって迷って、悩んで、葛藤して、矛盾する存在です。
しかし、ベンジーのように矛盾を描ける人はそう多くない。
むしろ今は相対的に「白黒ハッキリした表現」が増えている気がします。
例えば戦争とは、「でもやっぱり人を殺しちゃダメだよね」という葛藤や矛盾を排除した状態だと言えるでしょう。
その意味で、悩むこと、葛藤することの価値は大きいはずです。
そんなことに光を当てた言葉を、少し前に目にしました。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない時代に耐える力
ハッキリ言って、ネガティブ・ケイパビリティの状態は気持ちよくはないです。(だから偏った発信に人は食いつくわけだけど)
しかし誠実に生きるためには必要な気がします。
じぶんの思う誠実さと、生計を立てることを、どうにか両立させていきたい。
そんな風にいつも思っています。