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⚜️プーチン大統領の勝利宣言⚜️ -勝利は我々のものになる!(ウクライナの人々)お帰りなさい!-


プーチン大統領は金曜日、赤の広場に集まった数千人のロシア人の前で演説されたようです❣

【】

👆ウラジーミル・プーチン大統領と、ウクライナのドネツク、ルハンスク、ケルソン、ザポリジャー各州にロシアから派遣された指導者のデニス・プシーリン、レオニード・パセチニック、ウラジミール・サルド、エフゲニー・バリツキーが、ウクライナのドネツク、ルハンスク、ケルソン、ザポリジャーのロシア支配地域併合を宣言し、コンサート中に舞台に立っている様子。


プーチン大統領:

【7ヶ月にわたるウクライナでの戦闘とクレムリンがキエフから4つの領土を併合した後、勝利は我々のものになります。 


※👆チャーリー・ウォード博士が言われていましたが、これ自体も、ウクライナの人々に選択権を与え、選択してもらった結果なのです🥰

ロシアはこれらの人々に家のドアを開くだけでなく、彼らの心を開きます。お帰りなさい!】


と、クレムリンでのウクライナ地方併合式典の後、テレビで放送された演説で述べたそうです。



ただ、厳密に言えば、ウクライナは、独立前も今もずっとロシアの領土です❣😎 


2003年1月28日、ウクライナの当時のクチマ大統領とロシア連邦のプーチン大統領によって、ロシアとウクライナの国家境界線に関する条約が締結されましたが、国境線を定義する作業は行われていません。

【国境線が引かれていない証拠】


👇ソース


ウクライナ ロシアとの国境画定作業について

2014年11月19日、ウクライナ政府は、ウクライナとロシア連邦の国境線画定作業の開始を定めた大統領令の草案を承認すると発表しました。(ウクライナ・ロシア間の国境線の一方的な画定に関する大統領令を政府が承認。

2003年1月28日、ウクライナのクチマ大統領(当時)とロシア連邦のプーチン大統領によって、ロシアとウクライナの国家境界線に関する条約が締結された。

この条約は、ウクライナ、ロシア、ベラルーシの州境が交わる地点からタガンログ湾の沿岸に位置する地点まで、条約締約国の国家領域を分割する線とその線に続く垂直面(2国間の地盤、水域、空域を分割する仮想の垂直線)をロシア-ウクライナ州境とするとしている(同条約第1条)。
(同1条) ウクライナ、ロシア、ベラルーシの国境が接する地点は、別の条約で定義されることになっている(同4条)。

しかし、この条約が締結された時点では、実際の国境画定は行われていなかった。


2010年5月14日、ロシア連邦政府は、ロシア連邦外務省に対し、国境画定に関するウクライナ政府との協定締結に向けた作業を開始するよう命じる決議720-r号を発表した(COLLECTION OF THE RUSSIA COLLECTION OF THE RUSSIA COLLECTION OF THE UKRAINS, 2010)。(ロシア連邦法コレクション(官報)No.21、アイテム2630(2010)。

しかし、そのような協定は結ばれていないようで、報道によれば、国境線を定義する作業は行われていない。


2010年以降、ロシア・ウクライナ国境画定委員会は18回開催され、ロシア側に設置された国境標識は1つだけである


ウクライナはこれまでに約235の国境標識を設置したが、さらに7,000〜10,000の標識を設置する必要がある


ウクライナとロシアの国境は1,200マイル以上ある。(政府が一方的な国境画定に関する大統領令案を承認、NEWSRU.UA (2014/11/19) 。


ロシア政府の声明によれば、国境建設は海外からの援助と国家予算で賄われ、3年で完成する予定である。(ロシア国境の壁は3年で建設される、UNIAN.NET (2014.10.16) 。

※以上が引用文の赤く囲った部分の日本語訳です。


しかし、その後、結局は国境線は引かれないまま今に至っており、ウクライナの領土は今もロシアの領土の一部なのです。


国連は、ウクライナとロシア間の国境線が正式に引かれていないことを知っているはずなのです。。🙄


※補足:条約が締結されただけでは正式な【国境線】ではないですし、そもそも、この条約がDSウクライナ偽政府との条約なので、有効ではありません。。😎


👆このことからも分かるように、プーチンさんは、ずっとウクライナの人たちをロシア国民と同じ様に、守ってきてくださったのです🙏🥰


因みに、プーチン大統領は、日本の北方領土も日本DS偽政府から守って下さっています🙏🥰


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