見出し画像

来年からは娘が母のために銀杏の殻を剥くよ

先週、ダイニングテーブルに殻付きの銀杏が置いてあるのを見かけた。その数、両手で一杯くらい。そんなに多くはない。たぶん両親のどちらかが誰かにもらったのだろう。わたしは気にも留めなかった。

昨夜、母がおもむろに紙封筒を手にキッチンへやって来て、おもむろに殻付き銀杏をその封筒に入れ始めた。
ははあ、これはきっとレンジでチンするつもりだな。
と思ったら案の定、
「レンジでやると簡単らしいの」と母は言った。
「うちの研究室でもやったことあるよ」とわたしは言った。大学の研究室の話だ。うちの研究室の先生は学生たちを巻き込んで遊ぶのが好きな人だった。銀杏はこうやって簡単に食べられるんだぞと楽しそうに学生たちにデモンストレーションしていたのを10年以上経った今でも覚えている。
しかしうちの先生が使ったのはA4三つ折りが入るサイズの封筒、母が手にしているのはA4を折らずにそのまま入れられるほど大きな封筒だ。おそらく母の手持ちの紙封筒がそれしかなかったのだろう。
そして先生はレンチン一回当たりほんの10個程度の銀杏だったのに対し、母は両手に一杯の銀杏をザラザラと紙封筒に流し込んでいる。
この母の娘をやって30ン年、母の予備知識がどの程度のものか凡そ察しがついた。

たぶん何ワットで何秒やるかもわかってないぞ。
「銀杏は紙封筒に入れてレンジでチンすると食べられる」という情報だけで行動に移そうとしている。

これはクソ真面目な理系の悪い癖なのだが、わたしは”正しい方法”でやってほしかった。しかし、そのわたしも10年以上前の先生のレクチャーなんぞ覚えてやいないので、とりあえず母に「ちょっと待て!」と指示を出し、大急ぎでググった。ある食品メーカーのサイトに「一回に20個、500ワットで30秒から40秒、弾ける音が3,4回したら止める」と書かれていたので、まずそれを母に伝え、実行してもらった。

電子レンジの前で母が不満そうに「弾けてこないよ」と言う。
「じゃあ追加加熱」とわたしが指示。
追加加熱を繰り返し、ようやく破裂音が聞こえたところでレンジから取り出して殻剥きに取り掛かった。
落花生の殻割り器だの金槌だの爪楊枝だのを駆使して実を取り出そうとするが、なかなか容易ではない。翡翠色に輝く銀杏は見惚れるほど美しいが、取り出す作業は全く楽しくない。

「前に、大学からたくさん持って帰ってきたことあったよね」と母。
「うん」とわたし。
「あれどうやって殻剥いたんだろう」
「覚えてないよ。リモートワークになる前だからコロナ前だよ」
そういえばそんなことあったな、と思いながらわたしは答えた。先生のレクチャーを受けた数年後にわたしは銀杏の殻を剥く技術を実践したらしい。しかし電子レンジは使っていないような気がする。どうやったのか覚えていない。
何しろこの数年、わたしたちは怒涛の中にいた。コロナを境にわたしたちの生活は一変してしまった。わたしは県外から大学へ通勤していたため、仕事はリモートワークに切り替わった。家業は飲食店だった。来店客数は激減、営業時間制限、店内飲食向けの店舗設計なのに持ち帰りが急増、次々に襲いかかる非常事態に立ち向かうことに必死で、コロナの前にどうやって生活していたのかなんて、ほぼ忘れた。うちは和食屋ではないので、銀杏の殻剥きなんて数年に一度使うかどうかの技術は優先的に忘れる。

事情がどうであれ、わたしたち母子は銀杏の殻の剥き方を完全に忘れていた。

仕方がないので再度ググり、別サイトで「600ワット」という情報を見つけた。その他の条件や手順は変わらない。それを母に伝えて実行してもらった。
すると追加加熱なしでポンポンと気持ちよく弾ける音が聞こえた。良い調子だ。気分よく封筒を開け、熱々の銀杏を平皿に広げる。
しかし依然として殻剥きは難航する。数個は殻が割れているが、ほとんとはヒビひとつない。
殻を剥きながら母が言う。「これ、全部殻が割れるまで加熱するんじゃないの?」
わたし「そんなわけないよ。そんなことしたら加熱しすぎて美味しくなくなる」
間もなくわたしは母の心が折れる瞬間を目撃した。
母は銀杏も金槌も放り出した。
わたしは作業の手を止めて顔を上げた。
「わかりやすく放り出したね」
「うん」と母は言い、目の前の銀杏を忌々しそうに眺めた。「前に銀杏の殻を剥いたとき、なんであんなに頑張れたんだろう」
前回は確かに量がすごかった。小さいコンビニのポリ袋一杯に詰め込んだ銀杏を提げて家に持って帰ったときの、ずっしりと重い感触は今でも覚えている。どうやって剥いたのかは覚えていないくせに、重さは覚えている。あんなに大量の銀杏を誰がくれたのだろうか。今思い返すとわからないことだらけだ。しかし大学の研究室とはそういう場所なのだ。いろんな人がやって来てはいろんなものをくれる場所なのだ。研究室のメンバーが社交的であればあるほど、いろんなものが大量に引き寄せられて集まってくる。

わたしは黙々と銀杏の殻を剥き続けた。母も渋々作業を再開した。
母「怠慢だわ」
わたし「何が」
母「前は、娘に美味しいものを食べさせたいと思って頑張って剥いたのよ」
わたしは記憶がないなりに、「そうだね。頑張ったね」と答えた。
母「もう頑張れない。怠慢だわ」
わたし「怠慢じゃないよ。今も頑張って殻剥いてんじゃん」
母「前回、あんなに大量にあったものを、どうやって剥いたの?」
わたし「わかんないよ」
母「フライパンで煎ったのかしら」
わたし「可能性高いね」

母はフライパンを取り出してコンロに置き、その中へ未加熱銀杏を全て投入した。
しかしながら、うちのガスコンロは火災防止のため一定以上の温度に達すると自動的に消火する。要するに乾煎りができない。
仕方ないので弱火で10分ほど乾煎りしたが、一個も殻が割れない。
最終的に母は、フライパンで一度煎ったものを電子レンジで加熱することにした。すると数秒でポンポンと小気味よく弾ける音が聞こえた。
しかし、平皿に広げた銀杏は、最早瑞々しい翡翠色を失っていた。

わたし「お母さん、これ焦げてるよ」
母「知ってるよ」
その先は母子共々、押し黙って作業に徹した。わたしが金槌でヒビを入れ、母が中身を取り出すという分業制に切り替えた。
一体どれくらいの時間を費やしただろうか。作業が終わったとき、母は言った。
「なんでだろう。娘のために頑張ってきたのに、もう頑張れない」
このセリフだけ切り取ったら何事が起きたのか不審に感じるが、たかが銀杏の殻剥きである。
「今後は、娘が母のために頑張るよ」とわたしは飛び散った殻を片付けながら笑った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?