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新解釈:四十九日…あとがき

高校生の時に父が亡くなり、父方の祖父は四十九日終わるまで毎週お家に来てくれた。
最近はお葬式と初七日を一緒にするし、次は四十九日まで集まらないことの方が多い。しかし、父の時は二七日・三七日…と毎週しっかり行われた。

お盆・お彼岸の日もそうだが、お坊さんは毎回おもしろい話を仕入れてくる。四十九日の法要の時の話で強烈に記憶に残ったのが“裁判”だった。

確か昔お坊さんが「初七日、ニ七日と、7日ごとに裁判が行われます。五七日には閻魔大王さんに会えるそうです。」って言ってたな。

初七日編で主人公が回想しているシーン

このフレーズはそのまま私の体験談である。
社会人になって、母方の祖母が亡くなったときにもこのことを思い出して、四十九日での“裁判”や“六道輪廻”についてググったことがある。

6年ほど前の私の記憶。
地獄道では、鬼に串刺しにされ、焼かれ、食われる。。。
こっ、怖い!!死んでいるのに痛そう…!!
誰も知らない世界のはずなのに、なぜかリアルに感じる。
怖いのに読み進める自分がいた。

そして最近の祖父の死。
父の四十九日以降、15年ほど祖父に対して“ウザさ”を感じていた。

亡くなる2週間前でさえも、病室で元気にしゃべっていた。
親戚に聞くと亡くなる2日前も、ものすごい勢いでしゃべっていたらしい。
お葬式の会場へ行っても「あ~わりよ~(ごめんやで~)」と祖父が入り口で迎えてきそうなぐらい違和感があった。

でもいざ出棺の時。
何もしゃべらない姿を見て、子どもの頃の思い出がたくさん出てくる。
祖父の自宅近くのプールに連れて行ってもらい泳ぎの練習をしたこと、近くの川で釣りをしてなかなか釣れなかったこと、バイキングで私がいっぱい食べ物を取ってきてしまって残りを祖父が一生懸命食べていたこと。。。
泣かずにはいられなかった。

火葬場でお骨を骨壺に入れて、お墓へ納骨。
そんな時に思いついたのがこの小説だった。
四十九日に関する記事を参考にしながら、フランクに・亡くなった方視点で小説を書いてみたのだった。
最初は二七日で終わらせる予定だったが、閻魔大王さんも出演させたい。もしかしたら閻魔大王さんはそんなに怖い人じゃないかもしれない。
そう考え、7日間で終わるストーリーにチャレンジした。

7日間小説を書き続けるという初めての試み。
長さがまちまちで読みづらい小説になってしまった。
しかし、小説で主人公が自分の人生を振り返っていくうちに、私自身も“人生とは“といったことをじっくり考える機会になった。

祖父が無事、極楽浄土に行けますように。
そして、私もいつか自身の四十九日が来たとき、恥じない生き方をして、 極楽浄土行きの汽車に乗ろう。後半はそう思いながら小説を書いていた。

そういった背景を思いながら、小説を書くとまたおもしろいかも。
大変な面もあったけど楽しく書きました!

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