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夏の暑さで攫って

  梅雨が明けて、去年の梅雨の間じゅうずっと恋焦がれていた男の、香水の匂いを思い出しました。夏が来て、毎年夏だけ発売されるコンビニのイチゴのフラッペをいつも奢ってくれた、優しい男の子の顔を思い出しました。きっと夏が終わるころには、去年の夏の終わりに一度しか会うことのなかった髪の長いあの人を思い出すのでしょう。

 18の夏、独りでいることがどうしようもなく怖くて、自分が存在することの証明はどうやってしたらいいんだろうと夜な夜な考えてまた怖くなり、狭い部屋の角に蹲って泣いていた少女は、上京して2度目の夏に、本当に素敵な人に愛されて生きています。今、隣で頬を撫でてくれる人が息をしているだけで私は幸せで、この人を絶対に大切にしようと誓っています。でもそれは、彼と一生別れない誓いではなくて、結婚することの誓いでも、齢を取って皺を刻んでも隣にいることの誓いでもありません。愛する人といつか別れることを、恐いと、不安だと感じるのは、子どものすることです。映画を見て本を読んで、私は、可愛くない大人になりました。愛する幸せは愛される幸せで、それはほかの感情では代替できないほどの、形容できないほどの煌めきのある感情です。でも、愛されなくなることも愛さなくなることも、あの映画の主人公たちは、あの本の登場人物たちは、否定していなかったように思えました。肯定もしていなかったけれど、彼らが私に説いてくれたのは、そういう愛も、悪くないよってことだったのだと、少なくとも今の私はそう思っています。私はこうして、可愛くない19歳になって、夏を迎えました。

 こんなに愛の溢れる、幸せな少女になったはずなのに、寂しい夜に思い出してしまう男の子がいること、赦してくれますか。会うのは最後にしようと決めた日の夜、アイスクリームを買ってきてくれて、溶けたところから掬って食べるんじゃなくて、まだ固いところと溶けて柔くなったところをごちゃ混ぜにして食べるその不器用さも、優しく隣に引き寄せて甘く溶けた目をするその器用さも、忘れられずにいること、赦してくれますか。

 アイスを食べると、その溶けた外側とふやけた紙の容器を見て、大きくて骨ばった努力の見えるその人の手を思い出してしまう、汚れた私の感情を、赦してくれますか。いつか、いつか会うのを最後にして、私はきちんと、上手に幸せになりたい。そのいつかを、アイスクリームが邪魔している、いや、そうじゃなくて、アイスクリームのせいにしている醜さを、私は心に飼っています。夏の暑さは、容赦なく洗濯物を乾かしてしまうのだから、どうせなら溶けたアイスクリームみたいな、ベトベト纏わりつくこの鬱陶しい感情も、蒸発させてはくれないでしょうか。

 今私の隣にいる大切な人がいつか話した、太宰が好きなかっこいい歳下の女の子の話。ああこの人の中には、たぶんずっとその女の子が居るのだろうなと、私、思ってしまった。私の部屋の本棚にある人間失格を、ヴィヨンの妻を、斜陽を、初めて目にしたあの時から。そのかっこいい彼女を思い出していたのでしょうか。それなら私たち、愛を囁きあっていても、やっぱり少し狡い大人だね。

 夏の暑さはこうして、私が余計な事を考えすぎてしまうことを期待しているみたいで、この暑さは本当に、心底憎らしいです。それでも、すべての感情に温度があって色があって、輪郭があって、そのすべてが本物であるということ、今の私になら分かります。夏の気温が溶かすアイスクリームも、冷房の効いた部屋に置かれた太宰の小説も、すべて本当の話。物語になんてしない。美化なんてしない。美しい感情は美しいまま、醜い感情は醜いまま、文章に紡いでおきます。

どうか明日も、皆さんにとっていい日になりますように。



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