女性らしさを改めて考える
これは全然まとまらない文章になります。
ジェンダーを考えるにあたり、わたしはいつも自分の「女性らしさ」をどう受け止めていいか迷うのです。
わたしという人間は、家事がすごく苦手で、セルフネグレクト的個性を若干持ち合わせています。いわゆる「女の子なんだから」できることでできないことがすごく多いです。
まずともかく苦手なのは「掃除」です。生きていく上で何を後回しにするってもうこれを後回しにしまくって、家族に借りを重ねてきた人生です。
料理は好きです。
手芸も好きです。
ふわふわしたファッションも大好きです。
すぐメソメソします。でも映画やテレビを観て家族に泣いてるところがバレるのはすごく嫌いです。
娘のことは大好きで、いわゆる「女の子なんだからできること」で極端に苦手なことを、意地と根性で補う思いがすごく強くて、母性は死んでも捨てないくらいに気合入れて生きています。
そして夫には女性として見ていてほしいです。
でも夫以上に「ある意味勇ましくないか?わたし」。と思うことが多いです。
そういうわたしはどこかで自分が女性であることを、拒絶していると思うことがあります。
それは、ある仕事をしているとき、その仲間に恋愛対象として見られるだけで傷ついたり、痴漢に何度もあったり、こうしてジェンダーの問題で「性の合意」を考えたとき、わたしはもっと自分を大事にして嫌だと言って良かったのにと気付かされるような現在もしくはその過去の出来事そのものに。そしてわたし自身の性の欲求に向き合わないといけないとき。
いろんな局面で「なんで女なんだろう」と思ってしまうことがあります。
これらの矛盾って、すべて整理すること、けっこう難しいです。
そのために
詩を書いていたかもしれません。
この歪みについては、娘が思春期にいるうちになんとか言語化して整理したいです。
あなたにとってジェンダーを考えるときの引っ掛かりはなんですか。
自分の経験をもとに思いのまま書いていきたいと思います。 現在「人工股関節全置換手術を受けました」(無料)と 「ハーフムーン」(詩集・有料・全51編1000円)を書いています。リハビリ中につき体調がすぐれないときは無理しないでいこうと思います。