掘り下げるからこそ必要な全体像

最近、ここまでずっと取り上げている探究型の学び、
探究というアプローチの話を他人とする中で、
もう一つ出てくるキーワードがあります。

それが、「全体像」という言葉です。
私たちは、近視眼的に一つのことに夢中になり、
どんどんと視野が狭くなる可能性があります。

探究としてアプローチをすればするほど、
もっともっと知りたいという気持ちになればなるほど、
さらに深く掘っていくことになります。

それは結果的には、広さではなく深さとなっていくので、
周りが見えにくくなっていくこともあるかもしれません。
その分野の専門家としては、自分の得意な領域に対して、
とにかく深く知っているという状態です。

その一方で、部分的な理解だけではなく、
自分がやっていることが、全体の中のどの部分である
ということが理解できることで、理解が一気に深まることもあります。

全体像の中で、今自分が取り組んでいるのはどの部分なのか。
断片的に一つずつ理解していたことが、
全体像の中でのどの部分であるかを理解することができることで、
バラバラの理解がどんどんつながっていくことになるのです。

全体をとらえて理解ができるということは、一歩引いた眼でみていること。
なので、やはり少しでも抽象的にとらえていることにもなります。
具体的な、ある部分についてのみの理解から、
一歩引いて、抽象度を上げて理解をしようとすることで、
その全体像の中での具体的で部分的なことが見えてきて、
この行き来を繰り返す中で、理解が多層的になるということです。

全体像をとらえて学べるように、周りが声をかけることで、
学習者の理解が深まる展開は、学校の学びだけでなく、
仕事において、熟達者が見える全体像に対して、
未熟者が見えている部分的なタスクの処理に対して、
全体像が見えることで、一気に仕事のスキルがあがることと、
すごく重なっていると思います。

それ以外の場面でも、全体像が見えることで、理解が一気に深まる…
自身の経験と照らし合わせ、振り返ってみると気づきがあるのでは
ないでしょうか。

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