小説「裏面のバランス」第3話「昨日からのお返事」

エスパー少女は俺の目をじっと見つめていた。

「......なんすか、そんなにジロジロ見てきて」

「いいえ。あなたに興味がある...というよりは、あなたの存在がどう世界の変化に影響を与えるのか、その構造に興味があるの」

また小難しい話を始めてくる。
ため息も出ないでただ空を見上げた俺を横目に、エスパーお姉さんはまた時計をしきりに気にしていた。

「ねえ、お姉さん。そんな時計、昨日は付けてたっけ?」
「いや、付けてないわ。この時計は私が再度生まれ直してからETAにいただいたものだから」
「生まれ...何だって?」
「いいのよ、こちらのシステムの話。そんなことより貴方、私のことはユメリンと呼んで」

エスパーお姉さんは自分の設定にオプションを加えた。
自己完結したお姉さんのスピリチュアル世界に誘われるほど心の余裕がない俺は、ユメリンとやらの言いなりになるのが心底嫌だった。
だから、

「じゃあ、ゆめちーで」

「...それが貴方の答えなのね。分かったわ」

以外に物分りがいいお姉さんに目をぱちくりさせながら、ボサボサの黒い頭を掻きむしる俺はまた空を見上げたのだった。

「磁場が不安定になってきてるわね。Xデーが本当に近付いているんだわ」
「ゆめちー、今日はXデーじゃないのか?」
「当たり前じゃない。今日はXデーの前日。直前イベントが幾つか用意されてるわ。貴方、何も知らないでその役目を負っているのね」

何だか、ゆめちーの話は何段か過程を飛んでしまっている気がする。
随分と駆け足で進むゆめちーの話に耳も頭も付いていかない俺だったが、その話の裏側を知りたくてつい問い詰めた。

「役目とか何だかよく分かんないけど、その直前イベントってのは何なんだ?人っ子一人街からいなくなったのもそのイベントの一環なのか」

空が張りつめる感覚を二人で共有していた。
ゆめちーは三秒ほど固まってから、ゆっくりと唇を動かしてじっくりと説明を続けた。

「まあ、大方当たってるかもしれないわね。確かに今日は街に誰もいない。大抵の一般人は大方世界に消されたの。でもね、人が全く居ないわけではなくて......とにかく、今は新宿に出ればひとまず人がいるわ。いわゆる普通の人ではないけど」
「し、新宿?なんで新宿」
「私の知り合い...というか上司の人がいるはずなの。Xデーに備えてクリーチャーの育成...いわば、最終調整をしてる」

意味が分からない...と思ったまま口には出さずぐっと堪えた俺は、ただ新宿に行くことが今の二人の到達目標であることに気付いて、とりあえず話を進めようとした。

「じゃあ、山手線に乗るのか」
「ええ。でも電車は走ってないから、テレポートしましょう」

何だか、昨日まで当たり前に大学生をやっていた気がしてこない。
完全にファンタジー世界観を保有した惑星に飛ばされてしまったなあ、と頭の中のもう一人の自分が呟いたのを確認してから、そろそろとゆめちーの方に歩み寄った。

「テレポートとか、できるんすね」
「ええ、まさにこの時計を使うのよ。私のテレパシーを時計に送信して、そうすると...」

すると、ゆめちーの右腕に付けられた時計の針がグルグルと回り始める。目にも止まらない速さで。それに、時計盤の中の数字が2やら32やら157とか、有り得ないぐらい大きくなっていっている。
と同時に、時計から何か強烈な電磁波のようなものが出てきてゆめちーを囲い始めた。バリバリと音を立て始め、やがてその電磁波は近くにいる俺の身体さえも包み込んだ。

「い、痛いんだけど!」
「我慢して頂戴。この痛みが超次元的な世界に連れていってくれる。あなたと私は祈るだけ」

何か、昨日より妙な落ち着きを得てないか?お姉さん。
祈るだけ、とか言ってみてえよ。胡散臭いセリフなのにどこか真剣だからついその内容を信じてしまうじゃねえか。
だから俺は強く目をつぶって、それから両の手をクロスさせて祈った。

「新宿まで......」

Gooooooooo......。

真っ暗闇の中で見えない壁を探す感覚に陥っていた俺だったが、ハッと目を覚ますとそこは確かに見慣れた映画館の前だった。

立ち尽くしている自分の姿に不思議と安心感を覚えていたが、それは隣にしっかりとエスパーお姉さんもといゆめちーが君臨していたからかもしれない。
ゆめちーは俺の方に視線を移してから、また指を指して映画館の方に視線を向けた。

「貴方、あれが見える?」

お姉さんが「あれ」と呼ぶそれが何を指すのか、言われてから5秒は皆目見当が付かなかった。
しかし、映画館の建物の屋上の方を言っているのは確かで、目を凝らすとそこに何か赤茶色の『存在』があることにすぐ気づいた。

「何あれ」

つい、声が漏れた。
というのも、屋上にいるのは人ではなかったからだ。
明らかに地球外生命体...体長5メートルほどの、スライムみたいな質感でグニョグニョと音を立て少しずつ屋上を移動する赤茶色の物体だった。
よく見ると、物体の中央あたりに白い穴がポツポツと空いていて、それが目と口を表していることに気付いたまでは早かった。

しかし、この地球にいよいよ人間以外の...それでいて動物の形を成さない複雑な構造性を持った生命が誕生したことに戦慄を覚えていた。
あんなのか街中に跋扈しているとしたら、俺はこれからどうやってこの地球での人生を過ごせばいいのか。

「ゆめちー、聞いてる?何なのあれ」
「詳しい説明は省くけれど、まあ召使いと言ったところね」
「へ、へぇ......」

ゆめちーとは単純な会話も結構難しい。
テンポ感が合わない二人だが、歩幅はピッタリ同じだった。
二人とも何故かその建物の方に一歩、二歩と近づいて行く。
ゆめちーに何も言われていない俺ですら、とにかくあの生命体のことを究明したい思いに駆られていた。

「あれ、○すのか?」
「いいえ。クリーチャーを映画館の屋上で育成してるだけだから。ちょっと痛い思いしてもらうぐらいかしら」
「どうやって」

すると、ゆめちーは右のポケットからいきなり光線銃のようなものを取り出して、それからその銃のトリガーをおもむろに引いた。
取り出してから引き金を引くまで、僅か2秒の出来事であった。
白金のフォルムに包まれた銃の先端は周囲の光を少しずつ集め始め、銃の表面に描かれた緑色のゲージはそのタンクを充填し始める。
だんだんと白い銃が黒色へと色を変え始め、と思えば先端に集まる光が徐々に『ゴォオ』と音を鳴らし始めた。

風の音だ。間違いない。

「あー、久しぶりだから大丈夫かな。ミスっちゃったらごめんなさいね」

俺は何も動揺していなかった。
昨日からの出来事を振り返って回想を広げるぐらいには少し気持ちの余裕も出てきて、ゆめちーならあのスライムを吹き飛ばしてくれるという謎の期待すら抱いていた。
しかし、当のゆめちーは何か覚悟すら決めたような顔で額に垂れる汗を拭うことすら憚っているように見えた。

「吹っ飛べ、超ド級のホーリーバスター」

謎の呪文を唱えて、それからゆめちーは引いたままにしていたトリガーからパッと指を離した。
どうやら、この銃は引き金を引いた時ではなく引いてから離したタイミングで光線が発射されるらしい。
と、その構造に感動するのも束の間、

「あ」

飛んでいった直径3メートルほどの光の玉は、あっという間に屋上まで達して、それから赤茶色のスライムの目元あたりに直撃した。

「クリーン、ヒット」

ゆめちーがそう呟いてから、時間は捉えられる概念以上の動きを見せていた。
そう、俺の脳内で当たり前とされていたスピード感・時間のコンセプトを超越したスライムの動きがそこにはあった。

「え」

5メートルほどの体長だったスライムは撃たれた瞬間4つに分裂して、それぞれが1メートルほどのスライムに変貌を遂げた。
そして俺らの存在に気付いたのか、屋上からシュンシュンと俺らの目の前にスライムが飛び降りてくる。
そのうちの一つは俺の眼前1メートルの距離にボトリと落ちて、一気に俺の身体を飲み込もうとしてきた。

この一連の動作は、約0.5秒の刹那だった。

「やば」

どろどろに変形しながら動くスライムは俺の口をあっという間に塞ぎ、完全に息ができない状態を作り出した。

「......!っ!っ!」

小さく分裂したスライムにもしっかり目と口が付いていて、その口の方がゆっくりと開いた。

「お前、誰だぁ〜?」

いや、喋るんかい!
と、喋れない俺が必死に抵抗をしようとする。
てか、マジで意識飛びそう。息が...。

ゆめちー、何してんの?

「はぁ、チョモランちゃん今日はご機嫌ナナメなのね」

視線だけゆめちーの方に移すと、ゆめちーはまたあの時計から謎の電磁波のようなものを出してバリアを形成していた。
バリアに触れるスライム3匹は別に何も異常が起きていないようだが、一方で少しずつサイズを小さくしていっているようにも見えた。

てか、ゆめちーは俺の方を全く見ていない。
何してんの......。

「......もう!随分長いのね、あの方。そろそろ出てきてくれないかしら」

意識が明後日の方向まで飛びそうになっている俺が視界の端っこに見たのは、まるで幼女のような見た目をした......140センチぐらいの女だった。
また見知らぬ人間がいる。その認識だけが頭の中で揺らめいて、その見知らぬ人間が俺の口からスライムの化け物を剥がしてくれたことに数秒経ってから気付いた。

息をするのに苦しさがない。ようやく解放されたのだ。
それにしても、目の前で腰に手を当てプンと鼻を鳴らす小さな女は、白いパラソルを片手に持って何やら貴婦人のような白い装いをしている。

「コレが噂の男?何だかだらしないのネ」

カタコトの日本語。跳ねるような高い声が俺の耳に届く。
幼女はトコトコ近付いてから俺の顔をじいっと見上げて、それから傘をゆっくり閉じてもう一回俺の顔を見上げた。

「アンタ、名前はナンてゆーの?」

「鹿田、り...め、ん」

幼女は目を大きく開いた。
その名前に何か思い入れがある訳でもなく、恐らく俺の事をよく知ろうとしているだけ。
しかし彼女のつぶらな瞳は、俺の存在を全体から包み込むようなそういう脅威があった。
若干すくんだ俺は「あ、はは...」と声を漏らしたが、彼女はただ無言でゆめちーの方に身体を向け歩き直した。
その途中で「ふーん、なるほどネ」と呟いた彼女の声のトーンは少し落ちていて、同時に4体いたスライムがいつの間にか姿をすっかり消してしまっていることにも気付いた。
あれ、、、何だったんだろう。

「ユメリン......だっけ、アンタ昇格したのネ」

ゆめちーは名前もあまり知れていない存在なのか。
バリアを解いたゆめちーはやれやれと言った様子でその幼女の方を見下ろして、それから神妙な面持ちで急に敬礼をした。

「お世話になります。派遣されて今回のXデー担当になりました、ユメリンと言います。何卒よろしくお願いいたします」
「あー、いいのヨ。チョモランちゃんがさっきはごめんなさいネ」
「いえ、訓練中であることは承知しておりました。ただこちらの男をなるべく早くご紹介させていただきたかったので」
「それもそうネ。いいのヨ、チョモランちゃんは死なないから」

随分畏まったやり取り。ゆめちーの上司なんだろうか、あの幼女は。
関係性が見えてこないのだが、彼女らはやはり何かしらの怪しい組織に所属している人らなのか?
そんな妄想も束の間、ユメリンは会釈を終え幼女に向かってこんな言葉を吐いた。

「ちなみに、貴方は何ていう名前なんですか?」

度肝を抜いた。上司に名前を知られている部下が上司の名前を知らず、しかもそれをぬけぬけと恥もせず純粋に聞いているのだ。
それに対して幼女の方も特に動じず、閉じたパラソルの先をコンコンと2回地面に突いてから気の抜けた声で返事をした。

「アタシね、エレザっていうの。エレザ・パンプキー」
「エレザさん、ですね。かしこまりました。明日のXデーは色々忙しくなると思いますがよろしくお願いします」
「あーい、ヨ」

何だ、この人達のコミュニケーション......。

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