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肋骨上げて

ヒトの肋骨は全部で24本・12組。
背骨から胸骨へとぐるりとつながり内臓を守っている。背骨の上から数えて一番下、腰のあたりにお腹に向かって伸びつつ途中で切れて浮いている肋骨が2組ある。それが、第11・12肋骨で浮遊肋(ふゆうろく)とも言う。
へえ。

「日本人は姿勢が悪く、ほとんどの人がこの途切れた骨の先が下の方を向いています。ここを上に向けるようにしてみましょう」

バレエ歴25年、大きな瞳で華奢な体つきの小暮美香先生のピラティスレッスン。ゆっくり呼吸しながらその末っ子のような肋骨の先の位置を探って上げてみる。頭がむくりと持ち上がり、山頂に着いた時のように視線が遠くに移り、息が自然とすんなり胸に入っていく。

「この浮遊肋、アフリカの人はちゃんと上に向いているんですけれどね」

息が止まる。体の中心に向けていた集中がぞろりと耳に移り、その言葉が意味することを頭で理解しきるよりも早く、一気に合点がいったカタルシスが身体を突き抜けた。

ああ、そうだったのか。
使い方が、違うんだ。

2019年9月のナイジェリア、ラゴス。
仕事で訪れた企業訪問の合間に、ドライバーのクンレさんに頼んで都市で一番大きいマーケットに連れて行ってもらった。スリが多いからと私は貴重品もスマホも車にしまいこみ、温和ながら屈強なクンレさんが代わりに撮影を請け負ってくれることになった。車を降り低層の建物が並ぶ通りを歩く。巨大な獣の動脈の入り口に立ったような予感がしてゾクゾクする。ひとつふたつと道を折れて中心へ近づくごとに活気が増していく。

ふいにクンレさんが立ち止まり、私の顔を覗き込んで「準備はいい?僕から絶対に離れないでね」と、いたずらっぽく笑ってウィンクし、きゅいっと次の角を曲がった。


ぶわり。

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人の巻き起こすエネルギーが突風のように襲ってきて飲み込まれる。ヒトが、モノが、音が、色が、エネルギーが、砂ぼこりとともに一気に渦巻いてこちらに向かってくる。せまり来る圧迫感に反して、足がうずついて引き寄せられる。脳天と身体中の毛穴がバッと開いて五感が鋭敏になる。

クンレさんの横に貼りつき流されぬように進んでいく。嵐の中の船のマストかのごとく、手に持っていた水のペットボトルを無意識のうちに両手で握りしめる。五感になだれ込む刺激に脳の処理が追いつかず、思わず笑いがこみ上げる。突然、中学の時に大雨の中で全身泥にまみれながら憑かれたように跳ね続けた大縄跳の記憶と感触がフラッシュバックする。

道の両側には店がひしめき合い、通りは人が埋め尽くし、客も売り手も誰もがせわしなく縦横無尽に行き交う。一体どうしたら通れるのか不思議な、ミュージシャンを乗せた賑やかなトラックが人の洪水をかきわけるようにのっそりと通りゆく。激しいざわめきにかぶせる生演奏のBGM。

男たちはカラフルな生地や洋服を腕や肩に載せられるだけ載せて、興味を示す客を見逃すまいと瞳をたぎらせながらせかせかと突き進んでいく。もっとたくましいのは女性たちのほうで、ペットボトルをたっぷりと突き刺した大きなたらいや、生活雑貨を詰め込んだ衣装ケースなど、ずっしりと重たいはずの荷物を頭に載せて平然と歩きゆく。不思議と、頭で運ぶのは女性たちばかりである。

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「体に余計な負担をかけない綺麗な姿勢は、真横から見たときに耳・肩の中心・骨盤が一直線に結ばれています。」

ああ、本当だ。美香先生の言う通り。

ありとあらゆるものを頭上に載せて運ぶ人たちに次々と出くわし、だんだん感覚が麻痺して見慣れてきたと錯覚に陥り始めた頃、人一倍突き出た高さに、どっさりと積み重ねられた山盛りのパンのような塊が、ゆったりと空を切ってこちらに近づいてくるのが目に止まった。

その正体は。

こどもが水遊びできそうなほど大きなたらいに、もはや芸術と見まごうほどに整然と積み重ねられた茶色い艶のある物体たち。よくみると目が付いていてギョッとする。
運ぶ彼女はとろりとした目つきで周りを構うことなく、悠然と人混みをかき分けていく。茶色い物体の正体は丸く捻じ曲げられカチカチに固まった燻製の魚で、ざっと見積もって100匹くらいありそうだ。こうした魚はマーケットの至る所で売られていた。

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はじめのうちは、まるで大きく口を開けた巨大ナマズのように見えてぞわりとしたが、よく見ると見事なほど几帳面に同じ形に美しく捻じ曲げられている。つい目が離せずにいると、クンレさんがこの燻製はラゴスの海沿いに立ち並ぶスラムの住民たちによって作られており、ナイジェリアからトーゴやガーナにも運ばれ売られているのだと教えてくれた。彼らはすごい技術を持っているんだよ、と。

スラムで作られた燻製だと!?
国境を越えて他国まで運ばれているだと!?
そういえばハイウェイから見えた海沿いのスラム街で、たしかにあちこちから煙が立ちのぼっていたが、あれは魚を燻していたのか。そして私がトーゴで食べた魚のシチューの中でも、もしかしたらこのラゴスの燻製が使われていたものがあったかもしれない。なかったかもしれない。いずれにせよ、魚を長期保存できる知恵と技の塊。


「11・12番目の肋骨を上に向かせて。そう、空を仰ぐように」

途切れた肋骨の先の角度を上に上げて、顎を引く。ほんの僅かな違いなのに、明らかに姿勢が変わる。骨盤が立ち、背骨がすっと伸びて肩と腰の余計な力が抜け、頭頂から足の裏までが一本の線で柔らかくつながる。

緊張のかけらも見せず自若泰然と巨大な重荷を頭上に載せ曲芸さながらに器用に運ぶ彼女たちの姿に、いつも驚き見惚れて憧れて写真をたくさん撮って、真似して試しに本の一冊でもと頭に載せてみるもてんでダメで、ああもうそもそも身体の造り自体がきっと違うんだ土台無理な話なんだと諦めの気持ちを現地でも帰国後もずっと持ち続けていたのだけれど。

ああ、そうだったのか。
使い方が、違うんだ。

今ならバナナのひと房くらいならきっと私だって、なんて2年越しの身体の使い方の発見にちょっと得意になりながら、目を閉じてまた行き交う人々の熱いうねりの中にどぼんと戻り、圧倒的な体幹を誇る美しい彼女たちの背をまぶたの裏で追いかける。

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