「クレイマー、クレイマー」

★この記事は筆者のツイート群に加筆したものです。保存用にコピペ。

クレイマー、子どもというかけがえのない存在を心に得たけど現実では失ってしまい、(仕事、妻、子ども)全て揃っていた現実をジンテーゼでは全て失ったが心の中では得ている、というところが秀逸で大人用の映画、ビターエンドって感じだなあと思いました あまりこういう映画を観てこなかったので新鮮だ。

ハリウッド映画の括りをよく分かっていないけどこれも三幕構成だよね? 迫り来る悪い奴らのパート(何がなんでもホリデーシーズン直前の金曜に再就職したい形振り構っていられないシーン)が愉快でした。

そしてなんでもない構成だけどオープニングイメージとファイナルイメージ(フレンチトースト、エレベーター、荷物)が噛み合うことができて当然なんだよな、プロの脚本家は。意識的にせよ無意識にせよ。

愛する者の存在を知ってしまったがそれを二度と手には出来ないままクレイマーはそれを心に抱えたまま生きてゆくんですね……こういう構図はこれまで観てきた作品だとむしろガラスの破片や心の疵あつかいだったので、心が満ちることで現実が一生満たされることはない……という描き方も出来るんだ、と思った。

切ないな……だがこういうテーマの魅せ方(観客の人生・心の照らし方)もあるのだなあ。
映画を観終えたあと、確かに観客の人生の感じ方が変わる。
それは何も、問題を乗り越えてより良く進化した主人公や世界を描くだけではなく、こうした描き方によってかけがえのないものが本当はそこにあるという気づきをくれるというのが、これまで観てきた映画にはなかった切り口なのでおおっとなった次第。

後日「アパートの鍵貸します」を観る予定。
こちらも楽しみです。

追記:「子どもの存在を得た」は語弊があるかな。一方通行ではなく、ビリーとの絆・愛を得ているもんな。

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