怒涛の「試される」年

昨年の話をします。

ご存知の方もそうでない方もいるかと思いますが、オイラはハチャメチャに転職と引越しを繰り返しています。

5年間で運送業→AD→バーテンダー→カフェスタッフ→和菓子職人→倉庫仕分け→食品工場を経て、現在は画材の小売店に勤めています。引越しは実家から出るの含め4回越して、現在の家に至ります。アホかこいつ。アホなんですよ。

さて話は昨年の3月、和菓子職人が天職と思いきや、周りの人らのぞんざいで芸術を蔑ろにするような仕事ぶりに人生初の神経性胃炎と鬱に陥り、狂った頭で東京から関西への引越しを1週間で決めました。

具体的に言うと平日、仕事の昼休みに屋上で「関西に引っ越そうかな」と思って賃貸アプリで安くて広い部屋を発見、取られちゃ大変とその晩の夜行バスを取り、翌日そのまま関西へ行き、下見をしてその場で即決して2週間後くらいに引っ越したような気がします。この歳になる頃は夜行バスジャンキーだったので日本のどこに行くにも全く抵抗がない行動力の化身になっていたのです。

さて引っ越したものの仕事も金もない。ザ無計画。

そんなとき、オイラが世界で一番尊敬する大好きで遠い画家さんが「大阪で明日から絵のボランティアアシスタントしてくれる人いませんか」とツイートしていて、飛びつきました。こんなことってある?引っ越してなかったらハンカチ食いしばって泣いてましたよ。だって世界中で絵を描いてるアーティストですよ、一緒に絵を描けるなんてまさか一生に一度も無いと思ってた。

もうね最高でした。永遠にそこにいたかったし、そのまま死んだってよかった。ルーベンスの絵の前で天に召されたネロの気持ちです。あのまま時が止まってほしかった。まあ言ったところで当たり前に時間は動きます。これが3月末の話。

で、詳細は思い出したくないので省きますが、この時期はオイラの人生2大地獄谷のひとつで、経験したことないくらい派手に病み散らかして発狂してました。(当時ツイッターなどで本当にご心配をお掛けしました……)これが4月~5月頭の出来事。

なんかそのあとどうやって立ち直ったのか、6、7月の記憶が無い。また書きますが和菓子職人で病み始めてから多重人格になってて、この頃は頭が今の100倍狂ってた。

話は戻って去年の8月。

数年前から毎年夏に、母校(美術高校)の卒業生展みたいのがあって、地味に皆勤参加で、その年も参加したわけです。んで、なんかこの年妙に……っていうとアレだけど、やたらたくさんのん現役の美術教師陣まで参加するって話が出たんです。は? 現役の美術教師? いやいや完全に負けるでしょ……、と思いました。

別にコンクールじゃないんだけど、このさらに前の年や前の前の年に出した絵でボロカス(に感じただけでそんな罵倒はされてない)言われたり、思ったより自分の絵がちっぽけだったのが引っかかっていて、この時も去年と同じじゃダメだ、と思ったわけです。

で、前述のアーティストさんのアシスタントをして、世界が広がったオイラは、現役教師にも負けてらんねえなと新たな試みで絵を出しました。

そしたらまあ、前の年までのコメント閑古鳥が嘘みたいに、すごいみんな見てくれて。「あ、オイラに合ってるのはこれだ」って、やっと見つけた感じがしました。誰もやってなくて、自分の描き方にあってる、オイラだけのやり方。

そうそう思い出しました、この頃に某大手アニメスタジオのアニメーター募集があったんですよ。アニメーターとしては破格の条件でしたね。
昔から、絶対に性質は向いてないのに絵の方向性がアニメーターの絵と近いと信じて疑わなくて、どうしてもアニメーターになる道を捨てきれずにいました。でも貯蓄がなくて諦めてたところに、まさかの募集。ダメで元々と絵をポストにダンクシュートしました。これが7月の話か。時系列がごっちゃでスミマセン。

で、このアニメーターの一次結果がでるのが9月で、まじ恥ずかしい話なんですが絶対通ると思ってました。思い上がりも甚だしすぎるゴミクソ野郎です罵ってくれ。結果はもちろんお祈りでしたとも。

当時は受かってたらいつでも辞められるように短期バイトやってて、落胆しながら契約継続したわけです。これ9月の話。ちなみにこの頃のバイトは食品工場なんですが、オイラは室内のちまちました作業とかデスクワークが本当に我慢できない質でして、オマケにここの人達が……まあ端的に言うと合わなくて、元々続けるつもりもなかったのでどうにか辞めようと求人サイトやハロワを見る日々でした。

そんなある日、ハロワから「ここどうですか」な手紙が。開けてみたら「画廊のスタッフ」ですって。

画廊??!!!

あまりにもやりたすぎる。
即履歴書投函ッ

からのお祈り!! 悲C!!

でも、これでちょっと気になって、検索してみたら出るわ出るわ。

「文化財のデッサン」「キャラクターデザイナー」「イラストレーター(アナログ可)」etc……

絵関係なんて、あってもイラレやフォトショ必須のデザイナーとか、ソシャゲやパチスロ絵とか、3Dアニメとかでしょ?

ていうか、某大手アニメスタジオで募集かかるなんてチャンスに巡り会う機会、そうそうあるか……?

なんて考えていて、ふと、とんでもない考えに至りました。これって、7年間(当時)絵を描いてきて、何千枚と積んできた、それが実るかどうかを試されてるんじゃないかって。

オイラはスピリチュアルやシックスセンスにすぐ頼るので、この時だけマイブームだったタロットで占ってみたんですよ。そしたら、

「仕事で、これまでやってきたことを試される時。真剣に取り組んでいれば実るし、不真面目にやっていれば成功しない。」

正直ちょっとこわくなりました。
前のnoteに書いたように、オイラは絵を努力して描いたり何か信念があったりするわけじゃなくて、言うなれば惰性で続いてきたようなもんです。

それを試される?

えっ怖……不意打ちだよ……。

アニメスタジオ、画廊、キャラクターデザイナーを連続でお祈り申し上げられていたので、ちょっと自信なくしたんですよね。
本当に信じられるのかって。


数だけが自信だったけど、中身のないすかすかの、単なる数字だけの塊なんじゃないだろうか。
この7年、本当に胸を張って誇れる絵が何枚描けていたか?

怖かった。
怖かったし、全敗してなお筆を持ち続ける勇気が無くて、「もしも受からなかったなら、何も得られていない中身の無い無駄な時間だったんだ、そのときは諦めて筆を折る」と決めた。この時ばかりは、さすがに不安でしょうがなかったです。結果が怖くて怖くて、それでも転がってる絵の求人を片っ端から受けては落ち、だんだん減っていき、あーもう駄目かなって気もした。

で、最後に「もうここ駄目なら絵はやめるかーこんだけ落ちたらもう受かんねーってこったなハハ」くらいの気持ちで受けたのが、今の会社。

いざ面接を受けたら「実は募集してた正社員、先週もう別の子採っちゃって決まってるんだよねー」と。いやだったら求人下げてよ。負け戦?? え???

「なんだけど、もしアルバイトでもやる気ある?」

???

「画材と絵が本当に好きなんで、それに携われるならバイトでも全然いいです」つったら「じゃあ……OK」

え? えっ?
なんかこれまでの緊張の糸がスパッと切られたような感覚で、すげーあっさり受かってしまった。
採用? されたのか???

よくわかんないけど、ツイ廃なので「即決採用されますた」みたいのを会社出て即ツイートしてた気がする。のは憶えている。どうやら筆を折らずに済んだらしい……?

よくわからんうちに拍子抜けするくらいあっさりと絵に関係した仕事に就いてから早半年が経ちました。
社内での絵の仕事とかも回ってくるし、ポップやサンプルもたくさん描けるし、仕事中に絵も描けるし、なによりたくさんの画材に囲まれていて、絵を描くことに理解あるひとが周りにいることが、すごくすごく幸せ。

それまでの職場では、オイラが愚図なのが悪いんですが「絵の代わりに書類書いたら成績上がるんじゃない?w」とか「なにそれwかずきさんマンガとか描くんだw」とか、なんかもうパンピ(ここでは絵を描かないタイプの人)の反応にストレス溜まりまくって押し潰されそうだったんです。


だから、今の会社が、あまりにも理解ありすぎるどころか、普通にみんな個展したりグループ展したり作家やってて、本当に同じ時代の同じ日本?って思ってしまう。信じられない、どっかでトラックとかに轢かれて昏睡状態で見ている都合のいい夢なんじゃないか?とか。

一年前は一生こうして精神が狂ったまま戻れずに生きるのかなとか明日が見えないなとかで、とにかく生きながら死んでるみたいだったから、そのときの自分が諦めずに歩んでいて本当によかったと思います。一年前の自分が頑張って生きたから、今こうして生きている。

たぶん真剣に絵に向き合っていなかったから落ちまくって、でも最後のチャンスで、ここ受かったんだと思います。「これを機に、絵に対する姿勢を見つめ返しなさい」そう言われた気がしたんです。実際入社してから、いろんなジャンルの絵を描く機会に恵まれたりして、違う意味で試されてる感がある。

2度の地獄谷ツアーで脳が本当におかしくなってるので、こういう大切なこともすぐに忘れてしまいます。ここはそれらを忘れ去らないように書き留めるための場所です。読んでくれた方、ありがとう。

もう無駄にせず、より強い自信にできるように。


これからも絵を描いていいよと、神さまに許されたような気がする。

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