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13.母の言葉に気づかされたこと

【2024.5.19】
1つ目、「自分の人生を生き抜くこと」への責任を放棄してはいけない。

2つ目、「辛い」を誰かに告げて、辛さを認めてしまうと、その時点から辛さに耐えられなくなる。しかし、状況も自分も変えていくためにはこの「認める」過程が不可欠である。
→組織の「改善」に於いても、課題を認めて受け入れることが課題解決の1歩目かも?

※今回は学びというよりもただの日記


親に誘われたので帰った休日。
母に見送られながらそんなことを思った。

行き詰まった時に、曖昧な事象のせいにしたり、或いは過度に自分のせいにして、前に進めなくなることがある。
そして責任放棄したくなる。
行き詰まりに対しても、もはや人生丸ごと投げやりになりそうになる。
誤解を恐れずに言うと、私は鬱体質である。
診断を受けたことはないのでうつ病とは名乗れないが。

一つ例を挙げると、浪人時代のこと。
滑り止めの大学以外全て不合格。唯一受かった大学も入学式3日前に入学辞退。
当時、それまでの因縁も重なり、わかりやすく自尊心を木っ端微塵に打ち砕かれたので自暴自棄になっていた。
「こんな人生だったら、いらない」と、毎日思っていた。
そんな私を見透かしたように母に言われたのが、
「自分の人生でしょうが」

母は深く考えたり、根拠を持ったり整理して話すタイプではなく、直感で動くき、思いたことを思いついた順に話す。
その言葉を持ってきて、勝手に解釈していると、時に鋭く(私にとっての)本質をついている時がある。

今回の帰省中も
「仕事はどうなんだ」と聞かれるので
洗いざらい話した。
そして、今日の帰り際に母に言われたことは
「自分で選んだんならいつだって正しいよ」

内心、早くも責任放棄しそうになっていた。
自分にとっての正しさを歪めることも、人生に対する責任放棄の一部ではないか。


2つ目、辛いと認めると耐えられなくなる。

報連相の実践、言い換えるとすぐに相談する癖がついた。
結果、自分の状態を誤魔化せなくなった。
ついでに、精神状態が不安定になった今日この頃。
実家の犬をナデナデしていた時に、考え事をしていたら立ち上がれなくなった。
そんな自分を鳥瞰しているもう一人の自分が「またこの時期が来たよ。やだなー。認めたくないなー。」とぼやいている。
これではいけないと、立ち上がる。
その時に気づいた。

課題を「課題」と認めることで、変革できた過去がある。

デザイン思考も「課題の定義」を第二段階に据える。

現在取り組んでいる一連の改善活動も、意思決定者に「課題である」と認めてもらえなければ解決のための行動すら始まらないのだろう。


最後はただの独り言。
小田原駅を過ぎた後、東海道線の車窓から見える海。
曇天の今日は輝きを失った白とも灰色ともつかない鈍い色。
海は空の蒼さがないと、蒼く輝けない。

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