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9. 感情に寄り添う言葉は癒しを、ロジカルなアドバイスは前に進む力を

【2024.5.10】
これまた「合理と情理」の話だな。

この日はひどく疲れていた。
金曜日の夕方だからか。
ぼんやり頭痛を抱えながら体を引きずる思いで歩いている瞬間もあった。
いわゆる五月病というやつか。
ただ、これは私自身の悪いクセで、理由を探して自分を納得させようとしてしまう。
睡眠時間は?
今朝の起床時間は?
今日はどれくらい動いたり座ったりした…?
今思うと、「良いじゃないか、『五月病』のラベルを貼って、ただそれだけで」とは思うが…。

さて、理由を探せど、どの理由もしっくり来ない。
右脳が探し出した疲労の理由を左脳が論破していく。
原因仮説を挙げては棄却し続けるという無意味な論争を脳内で繰り広げて余計に疲れる。

そんな状態の時は大概、思考が完全にネガティブ。目の前にしている現状とは関係のない自己否定要素を記憶の引き出しから引っ張り出しては、「自分って…」という思考に堕ちていきそうになる。

転機は、顧問とのメンタリング。
しっかり話したいことを準備して行ったし、自信を持ってプレゼンできる報告内容もあったから、すごく良い時間だった。
顧問はモヤモヤとした現象に、ピッタリと当てはまる説明を返してくださる。
すごくスッキリした。
私のキャリア目標も応援してくれるし、それに向けての残り1年10ヶ月3週間のマイルストーンを一緒に考えてくれる。
最後は熱い言葉を贈って応援してくれる。来週も頑張ろうって思えた。

帰り道にふとこんな言葉が浮かんだ。

感情に寄り添う優しい言葉は「癒し」を、
ロジカルな説明は「前に進む力」を
私に与えてくれる。

自分の心の状態にも理由と説明を見つけたがる性だけど、逆手に取ると、納得できる理由と説明があればモチベーションを上げられる。
ただ、エネルギーが底を尽きている時は、理由と説明は頭に入ってこない。
そんな時は癒しとか励ましの言葉が嬉しい。

どっちも違う目的で必要なんだな。
誰かにとって、どっちもギブ出来る人になれたらいいな。

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