御陣女郎

御陣女郎
我が国では戦争に女性が加わることは古代からの習わしでした。
例えば、日本武尊が東征の際に橘姫を従えたのは一種の巫娼としての役割があったことが伺えます。
以前、古代は戦のさきがけとして女軍が戦勝祈願や戦局を占っていたことを記事にしましたが、今日はこのことを詳しく書いていきたいと思います。


時代が下って武士が台頭してきた頃・・・鎌倉時代は木曽義仲に仕えた巴御前が御陣女郎として有名でしょうか。
平家物語にも遊女を召して宴を催した記述が散見されます。
戦場に女性を招くとは第一に慰安婦の役割があります。そしてもう一つは、敵の首を洗い、髪を梳き、あるいは鉄漿を含ませるなどの仕事がありました。
江戸後期の文献にも”遊女が櫛を二つさすのは、首洗いのときに一つを用いるからだ”と書いてあります。(「事蹟合考」)


この話は以前、中山太郎氏「売笑三千年史」に載っていたのですが、古代は神に仕えた巫女の地位が低下し、巫娼として細々と活動していた彼女たちの面影が首洗いに見えるように思うのです。
仏教が入る前の葬送儀礼に巫女は不可欠でした。昭和初期まで各地で葬儀の時は仏教式による葬儀の後に民間の巫女を呼んでの口寄せや魂送りがなされたことが記録に残っています。
沖縄や南西諸島では最近まで洗骨という儀式が残っており、女性が死者を清めるという古代の習慣が長く残っていました。


以上のことから首洗いという仕事から御陣女郎が巫女として葬送の役割を担っていたことが推察されます。
ここまでまとめていて思ったのは、昭和の戦争時の慰安婦には死体の処理には関わっていなかったと思われますが、西南戦争の時はどうだったんでしょう?戦争に従軍した女性はいると思うのですが、鎌倉期の御陣女郎のように死者の葬送に関わっていたのでしょうか。また知りたいことが増えてしまいました・・・・😜

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