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好きnote 12 「弁天太朗」

弁天太朗。

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私が勝手に歌の師匠と思っている存在。私が尊敬するミュージシャンは、どんと、冝間正二郎、弁天太朗の3人。その中で今も生きている唯一の人物。

初めて会ったのは12年前くらい。アースデイ神戸の出店者の事前懇親会だった。たまたま同じテーブルだったので、何の出店をするのかという話になり、当時私は「ena ヒーリング」というヒーリングマッサージの勉強をしていて、マッサージブースの出店だと話すと

弁天太朗「えな? えなって言いました? そのえなはどういう字を書くの? 」

私「アルファベットのena です」

弁天太朗「僕は同じ字のena って曲をうたってます」

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その会話から異常に盛り上がった。たまたま同じテーブルの人が「ena」ってワードでつながっているとは! どんな歌をうたうのだろう? とても楽しみになった。

アースデイ当日、楽しみにしていた弁天太朗のライブ。この時間だけは出店から外してもらい、ライブ会場で今か今かと待ち受けていた。初めて聴く弁天太朗さんの歌。その歌は何だか懐かしく、素朴であたたかかった。愛だ恋だという感じではなく、もっと大きな自然賛歌、人間賛歌のような歌だった。「めちゃくちゃいい歌! またライブに行きたい!!」そう思い、本人に伝えてから、弁天太朗さんの歌とのお付き合いが始まった。


どういう流れか忘れたけれど、何故かその後、新婚の弁天太朗さんのお家にちょくちょく遊びに行かせてもらったり、ご飯をご馳走してもらったり、ライブ出演しに行く車に一緒に乗せてもらってライブに行ったり、ライブと関係なく、お寺とか餅つき大会とかにも一緒に行かせてもらった。

私がどんとの「波」を歌いたいと言った時にはギターを弾いてくれた。その優しさに甘えてイベントでギターの伴奏をしてもらった事もある。私がギターを弾き始めたばかりの頃、ド下手なギターと歌の私が主催したイベントにも出てくれた。せっかくだからと一緒にうたう歌も用意してくれた。


今これを書いてて、私はなんつーことしてんだ!と思った。

有り得ないことばっかり! それに私、厚かまし過ぎる!

でも何故かその時は自然にそれを喜んで受け止めていた。何というか、おじいちゃんに甘える孫みたいな感じだったのかもしれない。「おじいちゃんお話し聞かせて! お歌を聞かせて!」と、わーいわーいと寄ってくる孫みたいな存在というか…。ちなみに私は弁天太朗さんより年上なんですが…。

そんな有り得ないことばかりなお付き合いの中で、最大級の有り得ないことが起こった。

弁天太朗として音楽活動をしていたけど、自分が本当にしたかったのは現代美術。専念する為に弁天太朗としての歌う活動をスッパリやめる。自分が表現したいことや伝えたいことは美術では伝わりにくいと思って伝わりやすい音楽を作ってたけど、もう自分を誤魔化さずに本当にやりたい表現で生きていく!

そう宣言して、本当にスッパリやめてしまった。

その潔い心意気も含めて応援したい!と思ったけど、大好きな歌を聴けなくなるのは寂しくもあった。

そんな風に弁天太朗として歌わなくなってから、ずいぶん経ったある日のこと。

メイちゃん(弁天太朗夫妻は私のことをこの呼び名で呼びます)ギターがんばってるし、誰も歌わなくなったから歌ってもらったら?という奥様のご厚意で、弁天太朗の歌をうたわせてもらう事になった。

そんなこと思いもしなかった。大好きで一緒に口ずさんでいたけれど、私が歌うなんて恐れ多い!! でも弁天太朗さんも「ええやん。何が歌いたい? 教えてもらったらコード譜送るよー」と軽ーく言っている。

ならば!と特有の厚かましい素直さで「この曲と! この曲と! この曲が歌いたいです!!」と、なかなかの曲数をリクエストした。やっぱりどうかしてる。それからしばらく経って、本当に私が歌いたいと言ったコード譜を全部送ってくれた。

CDを聴きながら一緒に弾いて歌ってみようと試みた時、CDのキーとは違うことに気づいた。それは私が歌えるように、私が弾けるように考えられたコード譜だった。

自分が作った曲を人に渡すだけでも財産を引き継ぐようなすごいことなのに、それだけでなく、そこまで心を配って引き継がれた歌。

自分にとってはあまり弾かないコードやコード進行なので、弾けるようになるまでは本当に難しく時間がかかったけれど、この歌たちを大切に歌おうという気持ちは変わらない。どんなに未熟でも、この歌が作られた時の景色や想いを自分が理解できるよう大切に歌っている。そして、私はバカにされても、この歌を大切に扱わない人を私は許さない。私にとって、本当にかけがえのない歌なのだから。

だからといって、弁天太朗さんの歌は私のものではない。歌は歌なのだ。そこは忘れないようにしている。

最近は以前コード譜でもらっていたけど、なかなか歌えなかった歌を練習している。新たにまた弁天太朗さんの歌の世界を広げられるのが嬉しい。そして歌う度に込められた想いやこだわりを知るのが楽しい。弁天太朗さんの歌をうたいながら研究してるみたいで。


最後にとっても不思議な話。

弁天太朗さんはソロ以外にも「ニライカナイ」というバンドでご自身の楽曲を演奏していたけど、このバンドのヴォーカルの女性の生年月日がまるっきり私と同じだったこと。

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そして、アースデイで出会うよりずっと前に、友人に誘われて出席したパーティで、弁天太朗さんに会って話していたのを、たまたま出てきた写真で思い出した。後ろで三味線持ってるのが当時の弁天太朗さん。(私が角アナウンサーと何故か一緒に写ってるのも何だか不思議…)

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弁天太朗さんはよく「たまたまなんて本当はないんだよ」と言っていた。

たぶん私は、歌ってるんじゃなくて、歌わせてもらっているんじゃないだろうか。与えられたその幸運を大事に活かして歌っていきたい。


※現在はTheo HAZEとして現代美術家として様々な作品を生み出しています。三味線の奉納芸能はライフワークとして続けられています。

http://theohaze.com/



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