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さよなら my guitar

12年前の1月3日にしまむら楽器三ノ宮店で買ったギターを人に譲った。

その年の1月1日に行った生田神社の初詣で「私は自分が好きな歌を自分の力でうたいます!」と、生田神社の境内に宣言した勢いで行ったしまむら楽器で出会った青いギター。ひとめぼれだった。渋い青い色。

店員さんに聞くと「そのギターは初心者用ギターなので、持ち手になるネックの部分が持ちやすいから弾きやすい。今からギターを始めるならおススメですよ」と答えてくれた。

ひとめぼれとは言えいきなりお持ち帰りというのはいかがなものかと考え、一度冷静になろうと店を後にしたものの、「やっぱり好きー!!」と、その2日後の1月3日に青いギターを購入した。購入したばかりなのにその年の1月30日のどんとソングスデーに出ると決めたもんだから、楽器店のギター教室の個人レッスンを3回受けて、あとはひたすら個人練習。その当時働いていた職場にギターを持って出勤し、休憩時間にもひたすら練習した。その姿を見て笑う同僚もいたけど、まったく気にならなかった。

その甲斐あってか、初めての弾き語りでエントリーしたどんとソングスデーでは、会場であるサムズアップからサムズアップ賞をもらった。初舞台でいきなりの受賞。何という縁起のいいギターなんだ。賞をもらって調子に乗った私はそれからも自分が歌いたい歌をひたすら練習した。

気分が落ち込んで、まったくギターを弾かない、音楽さえ聴けない時期もあった。

それでもギターは私を信じて待ってくれて、私をいろんなところへ連れて行ってくれた。

青いギターが連れて行ってくれたところ。横浜サムズアップ、本八幡Route Fourteen、渋谷チェルシーホテル、下北沢rooms、荻窪クラブドクター、磔磔(なぜかオープニングアクトで歌わせてもらった)、GANZ toi toi toi、ゲストハウス花野、Livehouse nano、ブラザーズ&シスターズ、虹夢弦、石垣島 Bar Bb、宮島厳洲ギャラリー…。

荻窪クラブドクター
ゲストハウス花野



石垣島 Bar Bb


虹夢弦


下北沢rooms


宮島厳洲ギャラリー


livehouse nano


ganz toi toi toi


最近何してるの?と尋ねられた時、「ギターを買って自分がうたいたい歌をうたってるよ」と言ったことで、面白がってくれた友人・知人がライブに出てみようと声をかけてくれた。ライブハウスで自分が歌うとは思っていなかった。しかも歌った場所を改めて見ると、ギターを手にした素人が歌うには豪華すぎるような場所ばかり。



「私が大好きな、自分がうたいたい歌をうたう」ただそれだけで始めた歌が、ライブを重ねることで集客しないといけない…とか、利益を出さないといけない…という考えに変わってしまっていた時、私の歌は濁っていた。歌だけでなく、純粋に歌が好きな気持ちも濁っていた。それでも、青いギターは傍に居てくれて、何も言わずに私の歌を聴いていた。

何年か歌っていくと「もっといいギターを買った方がいいよ」「最低10万円以上のギターを持った方がいいよ」といろんな人から言われるようになった。でも私はこのギターが気に入っているから!と、ずっと一緒にいようと思っていた。

でも、あるイベントで、たまたま出演者の人が持っているギターがギブソンばかりのライブを観た時、ギターの音の良さを目の当たりにして、自分にとっての最高の相棒を見つけたい気持ちになり、知人に相談して私の最高の相棒を見つけてもらった。

青いギターの10倍の値段がするマーチンのビンテージギターだった。それでも、青いギターも大切に、時々弾こうと思っていた。たまに手入れもしていた。

だけど、気づくとこの1年半、まったく弾いていなかった。メインはマーチンにして、気軽に遊びに行く時には青いギターを持って行こうと思っていたのに、まったく使わない。大切にはされていたけど、部屋の隅にソフトケースに入った青いギターは立てかけられているだけだった。

3月に職場の利用者様がお亡くなりになった時、急遽その方のご遺体に向けて賛美歌を歌うことになり、ギターを持っていくことになった。簡単に持って行ける青いギターを一度手にしてみたのだけど、その時、青いギターはとても悲しい状態になっていた。壊れてはいない。だけど触っていないから、少しほこりがかぶっていて、弦は少し錆びて、何だか悲し気だった。そして結局私はいつものマーチンを手に職場に行って賛美歌を歌った。

そんなある日、知人がFacebookでギターが欲しいので譲ってくださいと書き込んでいた。それを見た時、青いギターはこの人に手渡そうと思った。私は青いギターをすっかり触らなくなってしまった。でも捨てられないし、誰に譲ってもいい訳ではない。私がギターを手にしたいと思った時のような情熱を、その人の投稿から感じたので、「お譲りします」というメッセージを送った。

最初はただ譲るだけを考えていたが、これだけお世話になった私のギターを、ただ手渡すだけでは忍びない。ギターの手入れをして、弦交換をして渡そうと弦を購入し、必要なら手渡す人に弦交換を見せようと思った。

先日、引き渡しを行った。

青いギターとのエピソードを話し、弦交換をお見せして、張り替えた弦で最後に青いギターを弾きながら私から生まれた歌を歌った。

♪始まりはあなただった

という歌詞は、この青いギターにも当てはまる気がして、何だかジーンとした。

引き渡しの日に私から生まれた歌を歌った

ギターをたくさん持って、今日はこのギター、この曲にはあのギターとギターを持ち替える人も多いみたいだけど、私はそんな器用なことができない。売れなかった時代に支えてくれた時から付き合っていた女性と離婚して、華やかな芸能人の女性と結婚する男性をクソだと思っていたが、何だか自分がそんな人間に見えて、ちょっと悲しくもなった。

だけど、一緒にいても触らないんだ。弾かないんだ。音を出さないんだ。

楽器にとって、ただ一緒にいるだけってすごく寂しいんじゃないかな。

それなら喜んで弾いてくれる人の元にお譲りした方が、お世話になったギターに対する愛になる気がしたんだ。

ギターを引き渡して、私の部屋には1本のギターだけになった。思ったよりも寂しくはない。あの青いギターが生かされる方が嬉しい。そう思った時、私に惜しげもなく「歌いたいなら歌っていいよ」と自分の曲のコード譜を送ってくれた弁天太朗くんのことを思い出した。「自分は現代美術の道へ行って、もう歌を歌わないから、歌いたいなら歌っていいよ」と送ってくれたコード譜は、オリジナルキーではなく、私の声のキーに合わせたコードに書き換えられていた。「何て惜しげもなくすごいことをするんだろう!」と思っていたけれど、青いギターをお譲りして、弁天太朗くんの気持ちを少し理解できた気がする。

せっかくものを喜んで使ってくれるなら手渡してもいい。ただそれだけだったんだ。そして、私が惜しげもなく、自分にとって大切だったものを手渡せる人間になれたことが嬉しかった。

ギターを手にする前の私は「自分には何もない」と思っていた。無意識に人から何かもらおうとしていた。優しさだったり、愛されたいという気持ちだったり、お金だったり、とにかく何か人からもらうことに価値を抱いていた気がする。

ギターを手にしてうたい出して、少しずつ、少しずつ、自分の中にあったそんな余計なエゴみたいなものが剥がれて消えていった。「こんな自分では嫌だ」「こんな私でどうやって生きていくんだ」と嘆いていた私は、ギターを弾いて歌うことによって、少しずつ変化していった。その変化の始まりは、青いギターのあなたを手にしたから。

ひとめぼれしたあの日のことは忘れないけど、あの日の私みたいに、また誰かを色んな場所に連れて行ってあげてね。

さよなら my guitar。

ありがとう。大好きな青いギター。


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