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好きnote 2 「西表島」

西表島は私にとって、とても特別な島。魂の故郷のような場所。好きだけでは収まらない島、それが西表島。

私は体調を崩し、精神的にも弱って一人暮らししていた京都から実家に帰りしばらく静養していたことがある。静養する中でどんどん落ち込んで、すっかり引きこもりになってしまった。

大きなことがしたくて会社も辞めて、意気揚々と一人暮らしを強行したのに、すっかり自信喪失して1年で実家に帰った自分が情けなくて、恥ずかしくて、そんな自分が嫌でたまらなくて、自分で認めたくないような、そんなちっぽけなプライドにすがりついていたんだと思う。

引きこもり生活が1年経とうとした頃、近所に住む叔母が私を呼び出しこう言った。「アンタそんな風に家で閉じこもってるんやったら、のんびり離島でも行って働いてみたらええやん。もし続かんくてすぐに戻って来ても誰も笑わへんから」


すぐには行動しようとは思えなかったけど、何もする気が芽生えなかった私の中に沖縄を馳せる気持ちが生まれてきた。沖縄は行ったことない地。いつか行ってみたいと思っていた憧れの場所。気持ちが揺れているところ、以前働いていた会社の先輩が突然死したという連絡が入って久々に外に出た。私が仕事を辞めて京都に行く時、送別会をしてくれた先輩は棺の中に居た。


「このままじゃダメだ」という背中を押された気持ちになって、家族に意思を伝え、以前友人が旅していた西表島の民宿に住み込みで働くことにして、免許を取って西表島に飛んだ。


初めての沖縄が西表島なので、私の沖縄観はだいぶ狂ってると思う。石垣島から高速船に乗ってついたその島は、着いた瞬間から山や樹の緑が迫ってくるような力強さがあった。植物の強い力を感じた。

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西表島での生活は、叔母から言われた「のんびり働いたらええやない」どころか、朝の6時から夜の10時まで働くハードさ。夕方に休憩時間はあるけれど、その間ほぼ仮眠。

それまで社会保険完備、週休2日、残業代しっかり出るような仕事しかしてない私の価値観はいろいろブッ壊れた。自分の中で「私はここまでしかできない」という考えは、毎日壊され更新される。何ヶ月前まで引きこもってたのに、それを一気に取り戻すように働いた。仕事が終わってベッドにたどり着くまでに床で寝てることも何度もあった。毎日怒られっぱなしでも、恥ずかしいとか言ってる間もなくやるしかない。そして綺麗な星空や海を見たら何だか和んで、むしゃくしゃしたら海で大きな声で歌ってた。

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目の前で親子喧嘩、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩が繰り広げられる。公民館活動で行事や祭について喧嘩が起こる。伝統ある行事の練習ではオジィやオバァからゲキが飛ぶ。ちょっと悪さをしてる子どもを見つけたら地元の子、観光客の子関係なく「お前、何やってるか!」と怒る。

西表島の人はのんびりしてるかと思ったら、喜怒哀楽が激しい。めっちゃ怒ってると思った次の瞬間笑ってたりして、なかなか感情が出せない私は、その人間らし過ぎる感じに振り回されながらも愛しく感じていた。

私は要領が悪くて、よく怒られてたけど、その時の公民館の青年部長が「怒られるのも青年の仕事!」と言って笑って励ましてくれた。

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海を眺めてオリオンビールを飲んで、星空を眺めて日が暮れる。そんな何でもない西表島の生活が今の私の支えになっている。


西表島が好きなのは、観光として素晴らしいとか、海が綺麗とか、イリオモテヤマネコがいるとか、そういうことではなくて、西表島という島で、私が子どもの頃に経験したかったことを経験し直せたことが本当に特別だったんだと思う。これは誰もが西表島で感じることではなく、たまたまあの時の私だったから。

この文章を読んだら、これのどこが西表島の良いところなんだ? と思うかもしれない。だけど「好き」って、そんな単純なことじゃないでしょう。人から見たらめちゃくちゃでも、あの愛しい時間は私の宝物なのだ。もう一度西表島で同じことやって来いと言われたら出来ないけど(笑)。


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2年前に久しぶりに西表島に行ったけど、不思議と「帰ってきた」気持ちになる。身体や魂に西表島の何かがずっと生きている。もしかしたら「好き」とか、そういう次元を超えて「家族」みたいな感覚なのかもしれない。島やけど。

また西表島に帰りたいな。

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