「太陽の子」

これは小学校低学年の頃、ひいばあちゃんから貰った本だ。児童文学とはいえ当時の私は幼な過ぎ、作中の漢字が読めなかった。物語には完全に置いて行かれたが何度も読み返し、おそらく主人公の女の子「ふうちゃん」と同じ高学年になる頃、ようやく物語を理解できるようになった。漢字が読めない間も読めるようになってからも何回も読み返した作品だ。

ある程度大人になり、灰谷健次郎の思想について友人と喧嘩した。喧嘩というか、私の主張は「そんなん知るか、細かいこと言うな」だった。
教員だったその友人には色々な見解があったのだろうが、作者の思想や教育的観点について私は全く関心がなかった。著作の中でも特にこの「太陽の子」の登場人物たちがただただ大好きだった。彼らは全員作者の分身だと言えるだろう、魅力的な人物が描かれていることこそがこの作品の価値であり、作者の凄さだと思う。
明るく楽しい、酔っ払いの登場人物たちは皆辛い過去を抱えている。読者は彼らの魅力に触れ、自分の過去もまた物語的に再認識させられることだろう。


物語の後半でふうちゃんは「私はお父さんや大好きな周りのひとたち、全員が一人になったようなひとと結婚したい」と言う(手元にないため細部は不明だ、「好き」という表現だったかもしれない)。これを読み、小学生の私は「そういうひとになろう」と強く思った。
実際、現在の私はギッチョンチョン、ギンちゃん、ロクさん、ふうちゃんの学校の先生や近所のおじさん、そしてキヨシ君、彼らからできていることは間違いない。子供の頃の私はきっと喜んでくれる筈だ。なりたい自分が分からなくなったり、孤独を感じたらこの作品を読んでみるといい。

一度だけ作品の舞台である神戸に舞台のオーディションで行ったことがある(役者もどきをしていた時期だ)。登場人物が集うふうちゃんの店「てだのふあ・沖縄亭」は当然無く、作中では下町の雰囲気だった街並みはおそらく震災により全て消えていた。ビルが並び近代的にキレイになった港には何故か野良犬がおり、夜行バスが発車するまで一緒に過ごした。ふうちゃんやギッチョンチョンたちの形跡のない神戸は悲しく、それ以来行っていない。

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