すべて、ポジショントークである。

価値を貨幣へと交換。その貨幣が無いと何もできない。そのベースの上に皆んなが立っている。立つには、場所がいる。要するに座標が存在するということになる。(資本主義だから当然のことだけど、、)

と言うことは、みんなにポジションがあるといえるのではないだろうか?

通販をメインにしている会社のオーナーは緊急事態宣言を推奨し、対面でしか商売ができない会社のオーナーは緊急事態宣言に否定的になる。雇用される側の権利は軽視され、雇用主の理不尽な発言に振り回されることもしばしばあるのではないか。

これはコロナ禍で露呈したことであって、過去もそうだったということ。メディアはサイコパスのように右へ左へ情報発信する。朝令暮改の比ではない。スポンサーがいて、視聴率が取れないと存続が危ぶまれるから必然的にそうなる。

大勢で騒ぎたい!家の中だけでは満足できない人と、ステイ(at)ホームの中で足るを知り、日々楽しく過ごせている人、両者の思いが同じであるとは考えづらい。

最近、知人の3人が新型コロナに感染した。昨年の3月以降、何十人と言う人がコロナに感染している。みんな言うことは同じだ。これは、ヤバい。二度とかからないように行動すると言っている。かかった人の共通点はコロナを軽視し、飲み歩くのが好きな人、塾経営者や、医師、ダンサーなどが多かった。入院後、死ぬかもと思ったと言う人が半数を超える。発病して初めて知るんだなと感じたことと、身近にいる複数人が大変な状況になって、僕自身も正直ビビっている。
(9/7に2度目のワクチン接種完了しました)

あるべき姿は感染しない生活をおくることだと思う。国の政策とか、専門家の意見も大切だが、皆んなポジショントークだ。僕はシンプルに感染したくない。

すべての情報にはバイアスがあるということ。この記事も僕個人のポジションから生まれているポジショントークだと言うこと。

報道もジャーナリズムも無い。人が目的を持って発信する以上、すべてポジショントークだということ。

常にその視点を持ち、そのバイアスを受け入れるのか受け入れないのかを右へ倣えではなく、意志を持ち判断できたら少し世の中は良い方へ変わると思う。

そこに至るまでのプロセスで一番大切なのは教育だ。情報に対してのリテラシーを高めないと、混沌とした世の中は変わらないんだろうな。

ただ、色んな人がいて、それぞれに環境が違う。生活そのものが危ぶまれるなら、選択肢は少なくなる。

人の意見を取捨選択し、寛容に遠くから見守る程度で良いと思う。誰かの人生を歩んでいる訳では無いし、自分らしく、自己研磨だけに集中したい。

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