広辞苑とステイホーム
今年のゴールデンウィークも家にいる。子供のために少しでも外気と触れる時間を作るようにはしているが、僕個人は家にずっといてもまったく不便もストレスも感じない。旅行が大好きだし、外食も大好きだけど、いまは家にいる方がメリットが大きいと感じている。宅配サービスで贅沢もできる。モノは通販で手に入る。コミュニケーションはオンラインで事足りてしまう。運動はswitchのボクササイズとダンベル、去年買ったトレーニングマシーンで充分だ。たくさん本を読めるし、ピアノの練習(最近買った)も心置きなくできる。ステイホームしろと言われなくても出来てしまう自分には外出の必要がない。仕事もホボ100%リモートで問題はなく、逆に効率がいい。気分転換にホテルで仕事をするのもいいが、同じ広さの部屋にとまるのは現実的ではないし、そもそもROIが悪い。デジタルデバイスと電波に囲まれた生活も、窓から見える景色とのコントラストで相殺されている気がする。そう、僕にとってステイホームは何の問題もなく、メディアのいう自粛という言葉がシックリこない。
ただ、これは妻や子供がいて仕事上なんの支障もないから出来ることだということ。休日は好きな時間に食事をとりながら好きなお酒を飲み、たまにパソコンを開く程度の時間を家族と過ごす。環境的な要因が大きく、誰しもがこの状況にないことは深く理解する必要がある。
それが家族内で露呈した。妻との会話で最近家から出てないよねと言われたが、個人的には直近10回ほど外出した記録がある。食料品を買いに行ったこと、子供の送り迎え、外食(個室)もした。妻にとってそれは外出ではないらしい。物理的な移動を外出だと思うひとと、精神的な移動を伴わないと外出とはいえないと捉える人がいるんだろうなと解釈してみた。
その解釈は子供を中心に考えると無理はない。過去に比べ飛躍的に綺麗になった映像も、リアルに近くなった体感も、本物ではない。幼少期の子供にとって本物と触れる時間は未来を左右する重大なファクターだから親として間違っていない。言葉の意味は背後にある責任によって捉え方が違う。これは大きな学びだと思った。分断されたのは経済だけではない。コンテクストによる言葉の意味と理解。ポジショントークに溢れかえる世の中だが、自分なりの解を見つけ寛容でいることが大切な気がする。広辞苑だけでは言葉の意味など説明できない。
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