隣の芝生は青い、いつも。
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
宮沢賢治の雨ニモマケズのフレーズ。
都心に住むと田舎に住みたくなる。
車を買ったとたん、違う車に目がいく。
必死で関西弁を話そうとする自分がいる。
必死で標準語で話そうとする自分もいる。
無理して字幕なしで洋画を見る自分がいる。
コンタクトをやめて、メガネにしてみたりする。
たぶん、全部を手に入れたら、手放したくなる気がする。
子供の頃、早く大人になりたかった。
大人になったいま、子供に戻りたいと思うことがある。
全部手に入れたら、ぜんぶ捨てたくなる。
だから、足りないぐらいがちょうどいい。
全然足りないのではなく、少し足りない。
その程度の不満足が人を健全な成長に導く気がする。
無力感にかられ、寄付をしたり、
誰かの役に立ちたいと思う気持ち。
その感情の根っこは、たぶん小さな頃に誰から受けた優しさや、自分が感じた理不尽な想いだと思う。
ポジティブなエネルギーとネガティブなエネルギー。
それが正しい方へ変換されるバランスがある気がする。
隣の芝生は青い。
そう思えることは大切なんだと思う。
手に届く範囲の、リアルにイメージできる範囲なら、健全な感情なんだろう。
スタグフレーション、戦争、パンデミック、円安、少子化、人口増加、世界と日本、都心と田舎、いつの時代も混沌とした捩れがあったんだと思う。それを実感できるほど年を重ねただけかもしれない。地球の自転軸は23.4度傾いている。波形が生まれ、太陽活性の影響も受ける。要するにバイオリズムがある。地球規模、宇宙規模で考えれば、たかが100年ほどしか生きない人間の時間。その中で起きる悲惨な数年は、数日で死んでしまう蝶の成虫にとっての天気みたいなものかもしれない。
高層ビルの隙間の公園で息子に捕まえられた蝶を見て、雑感を得た。
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