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二番歌 亡き人を想う


二番歌

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣干すてふ 天の香具山


持統天皇


この歌を詠んだ持統天皇は、女性天皇で、
天智天皇の弟である天武天皇の皇后。

夫の天武天皇が急逝したため
皇位を継承されたそうです。


現代語にすると、

「春が過ぎて、夏が来た。
純白の衣を天の香具山に干そう」


一番歌の天智天皇が、自ら仮小屋の中でござを編んだように
持統天皇もまた、ご自身で、川で洗濯をされていたのです。


夏の、ひんやりした川の水が気持ちよくて、
「白妙の」= 真っ白 になるまで、
しっかりと洗えてしまった。


干している洗濯物の向こうに
大和三山の中でも一番立派な香具山が見えます。


その雄々しい山の姿は
亡くなった夫、天武天皇の雄姿と重なります。


「天の」香具山と書いてあるのは、
亡夫、「天武」天皇の天、もしくは、「天」にいる夫の天
を意味しているのでしょう。


初夏の晴れた日、ひんやりした水の流れる川、
緑の木々、草花、鳥のさえずり、遠くに見える山々。
美しい自然の情景が浮かんできます。

洗濯物を干しながら、香具山に亡き夫を見立てて
愛の想いを馳せる。
そんな持統天皇の姿が読み取れる歌。


衣が白くなるまで洗うことは、
命の穢れを洗うという「禊(みそぎ)」
を想起させる、と書かれていました。


この世は命の洗濯の場であり
正しく生きることで魂を浄化し
死んで神となる。

これが日本古来の考え方だそうです。


「がんばって生きている私(持統天皇)を、
あの人(天武天皇)が、天の香具山となって、
今もずっと私を見守ってくれている」


そんな、夫婦愛が詠われている、とあります。


この解説を読んで、
思わず目頭が熱くなってしまいました。


そして、ふと浮かんできたのが
昔好きだった、BEGINの

「涙そうそう」

2番の歌詞。



一番星に祈る 
それがわたしのくせになり
夕暮れに見上げる空 
心いっぱいに あなた探す

悲しみにも 喜びにも 
想うあの笑顔
あなたの元からわたしが 
見えたら きっといつか 
会えると信じ 生きてゆく


自然の風景の中に、
愛しい亡き人を重ねてしまう。
きっと、天から自分を見守ってくれていて
いつか会える日が来ると信じて
残された人生を、精一杯生きていく。


たとえ、天皇という身分であっても
そんな健気な、一女性の心情が
この歌の行間に込められていたのかもしれません。


そう思うと、
天皇という、権威ある遠い存在の人でも

民衆である私たちとなんら変わらず
失った愛する夫を日々心に想いながら
日常の仕事に勤しみ、一生懸命生きていたなんて

とても身近に感じるし、
その生き様は、一女性としての美しさを覚えます。


この歌を、ぱっと読んだだけでは
ただの風景描写に過ぎず
そんな背景があるなんて、どうやっても思いつきません。


他の解釈についても、色々検索してみましたが
多少重なるところはありますが、
みんな解釈が異なっているのです。


そして、この解釈が正しいかどうかを詮索するのは
ナンセンスだな、と思いました。


一番大事な事は隠し、察することが求められるという
和歌の本質を考えると
この解釈は、とてもしっくりきます。


この解説を読んで
「涙そうそう」を思い出したり

そこから、20年近く前に亡くなった
沖縄出身の祖母のお葬式で
この歌を皆で歌った記憶にもつながって

私自身も、大切な故人を想い、
懐かしく切ない、でもあたたかい思い出が
心の中によみがえってきました。



最後までお読みくださり、ありがとうございます!


これを読んでくださったあなたが、
あたたかな光に包まれて、
毎日を送ることができますように。

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