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地獄と極楽

あなたは自分のことをどれだけ認識していますか?

地獄と極楽

江戸時代に白隠という和尚さんがいました。禅の中興の祖と言われています。ある時、白隠禅師のもとに、ある若侍が訪れました。若侍は白隠禅師に尋ねます。

「地獄とはなんであるか」
「極楽とはなんであるか」

すると、白隠禅師は、若侍の問いには答えず、「体つきは立派でも地獄も極楽も分からないとは、大した侍ではないな」と返事をしました。

若侍は堪え、返事を待ちますが、白隠禅師は問いには答えず、若侍を罵り続けたそうです。白隠禅師のような高僧を切り捨てては、主君や一族郎党に迷惑がかかるかもしれません。若侍はぐっと堪えていましたが、白隠禅師の罵りは一向に止みそうにありませんでした。

若侍はしばらくしてさすがに堪忍袋の緒が切れ、刀に手をかけ、逃げる白隠禅師を追いかけ回したそうです。逃げ回る白隠禅師を追い込み、若侍がまさに斬りかかろうとした瞬間、白隠禅師が一言。

「それが地獄である」

若侍は、はっと我に返ります。自分にしようとしていることに気づき、すぐに刀を鞘に納めました。それを見た白隠禅師が一言。

「それが極楽である」

心が作り出す

僕の好きな禅のお話の1つです。地獄も極楽も死後のお話ではないんですね。生きているこの世が地獄にもなるし、極楽にもなる。そんな風に感じられます。地獄を作り出すのも極楽を作り出すのも自分次第。もっと言えば、心のあり方1つで地獄にも極楽にもなると言えるでしょう。

エモーショナル・インテリジェンス

あなたは、自分の心の状態をどれだけ認識できているでしょうか。自己認識という言葉があります。エモーショナル・インテリジェンスの基盤となる心のスキルです。

エモーショナル・インテリジェンスは、VUCA時代を自分らしく賢く生きるための感情的知性です。エモーショナル・インテリジェンスは、自分自身や他者の心の動きに気づき、理解し、その情報を使って、好ましい行動へと自分自身をナビゲートしたり友好な人間関係を構築する心のスキルです。

自己認識

自己認識は、エモーショナル・インテリジェンスの基盤であり、自分の心の状態を自ら認識することです。自己認識は、自分の一瞬一瞬の経験を洞察することだけにとどまらず、自分の長所や短所、資質、価値観を理解したり、自分のうちにある知恵にアクセスできたりといった「自己」の広い領域に及び、自己の心的状態(気分や思考)、心の動きや変化、反応、を現在進行形で認識する能力のことです。自己認識はマインドフルネスの実践で深められることが科学的に確認されています。

自己認識と呼吸瞑想

若侍が白隠禅師を斬りかかろうとしている自分に気づく。そして刀を鞘に戻す。このプロセスはまさに呼吸瞑想のプロセスに重なります。気づいて戻す。呼吸瞑想では呼吸に注意を向け、呼吸から注意が逸れたらそれたことに気づき、呼吸に注意を戻します。

自分が今何をしようとしているのか。自分は今どのようなことを考えているのか。自分には今どのような気持ちがあるのか。そのことを認識するためには、自分の心の動きに気づいていくことが必要です。

残念ながら、私たちに白隠禅師が言葉を投げかけてくれることはありません。自らが自らの心の中で白隠禅師が若侍に気づかせたように、自ら気づいていくしかありません。自分の注意が今呼吸からそれているのか。呼吸に向かっているのか。自分の心の中の刀は今どこにあるのか。鞘から抜いてしまっているのか、鞘に収まっているか。心の動きに気づくことができるのは、自分だけです。自己認識を深めることができるのも自分だけです。

呼吸瞑想をする時には、自分に問いかけてみましょう。今自分は刀を握っているか、鞘に収まっているか、と。

私たちは、普段、知らず知らずのうちに、刀を抜いてしまっていることがあるかもしれません。その時には、心の中に白隠禅師を思い出して、一呼吸してみましょう。言わなくて良い一言、やらなくて良いことを防げるかもしれません。

今日もあなたが穏やかでありますよう。
今日もあなたが自分の心の動きに気づくことができますよう。
今日もあなたが健やかに過ごされますよう。



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