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瞑想会で気づかされた、ケア現場で自分が置き去りになる内的世界

コロナウィルスが猛威を奮い、感染者の数は右肩上がり。
どんどん明日はわが身になっている状況で、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

さて私は、Zoomのオンライン会議システムを使って瞑想会を開催し始めました。初回から思った以上にたくさんの方が参加してくれて嬉しく思っています。画面上ではありましたが、懐かしい友人達に再開できたり、初めての出会いもありました。

前半は座る瞑想。沈黙の中で内なる自分と繋がる実践を行いました。そして後半はシェアリング(分かち合い)の実践を行い、たった1時間程の会でしたが、終わった後には、イベント中止や外出自粛で感じていた疎遠感が癒え、穏やかな充実感を感じました。

私はファシリテーターで、実践の場を提供するという立場なのですが、あの場で感じた繋がり感や一体感は、参加してくださった一人一人が作り出してくれたものなので、すごく尊いギフトをもらったような嬉しさが今でも続いています。しかも、メンバーが変わるとその空気感も変わり、一期一会の場をしみじみ有り難いと思っています。

そして一人で瞑想するよりも、グループで同じ経験(実践)を共にすることで、個々の内側で芽生える気づきの深さや質が変わってくるという、とてもおもしろい現象も見えてきました。(このあたり、研究できたらおもしろいなという思考も浮かびました😀)

私自身も、このZoom瞑想会中にすごく大切な気づきを得られたので、この場でシェアしてみようと思います。

私は今群馬県にある児童養護施設で働いているので、ここ1ヶ月間、3月初旬から始まった学校の休校により、だいぶ早く春休みになってしまった子どもたちの対応に追われていました。そしていよいよ予定されていた4月7日の始業式を目の前に、つい先日までは「この状況で学校再開してしまって、子どもたちは大丈夫なのか? クラスター連鎖がさらに広がるだけだから、再開するべきではない」と思っていました。

そして、群馬県でも感染者が日に日に増える中、木曜日の夜に山本県知事さんが緊急会見を開き、金曜日の午前には、県立高校と特別支援学校の休校をゴールデンウィークまで延長するという正式な連絡が各学校から届きました。私が考えていた「再開するべきではない」通りの結果になったわけです。

しかし、私が休校延長の連絡を受けた瞬間に経験したのは、みぞおち辺りにやってきたズシンという重たい感覚。楽しみにしていたイベントが中止になってしまった時のガッカリ感に似た様な。そして、重さと同時に落胆や悲しみとも呼べる様な感覚があり、とにかく心地悪かった。

でも、その感覚と十分に向き合う時間を取ることもなく、即座に流れてきた連絡に対して「わかりました。そのほうが安全でよかったですね。」と返事をしたのです。そして仕事を続けました。

「よかったですね」と返事をしながらも、みぞおちの心地悪さは消えず。

この感覚が後に分かった「自分置き去り注意報」だったのですが、その時は完全にそれを無視して、高校生たちの「先生〜、何で学校行けないの?もう家にいるのヤダー」と文句ブーブー不満を聞きつつ、「じゃあ休みの間に何ができるか考えようよ」と前向きな大人を演じてみたわけです。

「よかったですね」は、良いと感じていない正直な自分の身体の感覚を麻痺させるために、「これでよかったんだ。」と自分自身に覆い被せた表面的な頭からの言葉でした。

夕方に仕事が終わり帰宅。20時からオンライン瞑想会が始まり、先ず前半30分は座る瞑想を行いました。私が普段行っている座る瞑想では、呼吸を観察しながら途中浮かんでくる思考や感情、感覚に気づいていくのですが、呼吸に意識を向ける準備として、冒頭で身体のパーツを順番に感じながら徐々に意識を内側に向けていくボディースキャンというプロセスがあり、先日も冒頭に行いました。「骨盤の真ん中から胃のあたりまでのスペースをリラックスさせて」と自分でガイドをしながら、意識がちょうどみぞおちの部分に差し掛かった時、昼間のガッカリ感が微かに蘇ってきました。

「おっと、この感覚。覚えてる。」と身体の中で気づきがありました。

重苦しい感覚をただありのまま観察しているので、その感覚の原因や理由はその時点では分かりませんでしたが、ボディスキャンが終わって、呼吸に意識を向け始めたら、結構な頻度で意識が呼吸からみぞおちあたりに移ろいで行くことに気づきました。移ろいだ意識に気づき、また呼吸に戻る。それを何度も繰り返しました。

そして後半はシェアリング。参加者それぞれが、内側に感じているものを分かち合いました。シェアリングでは聞く瞑想と話す瞑想を行います。聞き手は、話し手のありのままに自分の全ての意識を寄せ、話し手は、聞き手の反応に合わせて話すのではなく、ただありのままの自分自身で話します。心で聞き、心で話す。それを繰り返します。

ありのままの気づきを抱いたまま、取り繕うとせずにそのまま話して良い。そんな環境に身を置くと、自然と生の感覚がそのまま言葉として湧き出てきます。そこには判断や批判、同意やアドバイスは存在せず、ただの人間らしさが照らし出されます。

「あ、私疲れていたんだ。複数の年齢もニーズも違う子どもたちと一緒に、1日中過ごすことは結構負担だったんだ。本来だったら学校に行っている間に出来ていた仕事が後回しになったり、休息の時間が取れないことが大変だったんだ」

自分の心境や身体の感覚について話しながら、改めて気づく。気づきを分かち合うことで、さらなる気づきが生まれる。このように人と人との関係の中で、気づきが深まっていくのです。そのプロセスはとってもパワフルで、美しい。関係性マインドフルネスの実践、すごくおすすめです。

いやそれにしても、こうやって援助職の人達は自分をどんどん置き去りにして、その結果バーンアウトが起こり、職場に、クライエントに、そして自分自身に向き合えなくなってしまう負のスパイラルが起こるんだなーと、改めて自分の感覚レベルで理解できました。

人をケアする人が、自分をまず先にケアできるようになる力を養うこと。セルフケアのスキルを磨くことは、福祉や教育の場で本当に必要だと、自己の体験を通して再認識することができました。

コロナ渦はまだまだ続くと言われています。どうか皆さんが安全で健康で過ごせますように。

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