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誰よりも素直になれない友達

久々にドラマを観ている。

月曜9時からの「君が心をくれたから」

10時からは「春になったら」

どちらも別軸で切なくて悲しくて1話からボロボロ泣いてしまっている。

今日は初めて地上波で連続で見たので、泣きすぎて心にぽっかり穴が空いている。

「春になったら」の第4話では、お父さんの死ぬまでにやりたいことリストに書かれていた「神くんに謝りたい」がテーマにお話が展開されていく。

神くんはお父さんの中高生の頃の親友。40年くらいぶりに再会を果たしている姿になんだか泣けてしまった。

なんだか、と言いながら、思いっきり心当たりがある。

私は親友ってどんな人のことを言うのかわからない。小学校の頃から、親友という存在に憧れていたけれど、親友と呼ぶことがどこか恥ずかしかった。

私の中の親友は大人になっても仲が良くて、なんでも言い合えて、支え合い、心許せる関係。今の私には子どもの頃を知りながら、大人になった私とも頻繁に会う仲のいい友だちはいない。

いない、というより、失ってしまった、という言い方が正しいんだろう。

小学5年生の頃、塾に通い詰めて、受験勉強を頑張っていた。

成績が一気に下がってしまったクラスで、私は彼女と出会った。

社会の授業で、先生が黒板に書いた漆の文字が間違っていて、隣の子にちょこっとだけ勇気を出して、「漆の漢字、間違ってるよね?」と声をかけてみた。

彼女と話すのは、初めてだったけど、「間違ってるって思ってた!」と返事のトーンは明るくて、友だちになれる気がした。

翌日は私は彼女の前の席で、席に座ろうとすると、彼女は足を伸ばして、私を通せんぼしてきた。

きっと、そんなちょっかいを出してくれたことが嬉しくて、私は今でも覚えているし、大切に胸にしまっている。

私はなんとなく彼女と仲良くなって、なんとなく友だちになって、塾ですれ違うと嬉しくなる存在になっていった。

彼女とは、偶然にも同じ志望校で、受験の日は同じ教室だったし、どちらも合格できっこない成績だったのに、無事合格。そのあと、中高、同じテニス部、大学では同じテニスサークルに入った。

本当はもう1人、憧れの女の子と3人で仲がよかったけれど、それはまた別のお話。

ここまでくるとたぶん腐れ縁。

中高生までは、彼女にとって私がどこか特別な存在だと自負していたし、私にとっても彼女は心の拠り所だったんだと思う。

それでもお互い素直になれなくて、お手紙くらいでしか本当の気持ちを伝えられなかった。

周りにもあからさまにわかるほど、私は一番雑に扱われていたし、冷たくもされていた。それでもそれが逆に特別扱いだったし、いざというときに助けてくれるのは、彼女だった。

先日、たまたま高校生の頃に、彼女からもらった手紙を読み返した。何度も何度も一番前に"誰よりも”とつけられた文章が並べられていて。

「誰よりも冷たくしちゃう」「誰よりも迷惑をかける」「誰よりもわがままを言ってしまう」「誰よりも喜んでくれる」

当時もこの手紙を読んで、大号泣したし、今でも大号泣してしまう。

昔と今では、涙の種類が違うけれども。

どんな悩みでも相談させてもらっていた。夜中に泣きながら電話をかけたこともある。高校の初めて厳しいテニス合宿を迎えた1日目の晩、心細くなって、彼女に会いに行った。

私はずっと彼女が大好きで、心の支えで、彼女のいちばんになりたかった。どうすれば堂々と隣に居られるんだろう?ばかり考えていた。だんだんと傲慢になっていたと、今では思う。

すでに与えられている彼女からの信頼を、私は受け取ることができずに、蔑ろにして、もっと別のものをちょうだいと求め続けていたんだと思う。

大学生になってからは、環境も人格も大きく変わった。そんな当たり前なことに、私は気づいていなかった。

大学生らしく遊びにテニスに忙しい日々を忙しなく過ごして、コロナ禍になったとき。

強制的に人生の一時停止ボタンを押されて、考えなきゃならないものと対峙してしまった。

彼女と私の関係性はこのままでいいんだろうか?

ずっとほんの少しの歯車が噛み合わないまま、支障がないからと、力ずくで無理矢理に動かしている感覚だった。

彼女は目を瞑って、触れないまま大人になろうとしていたのに、私は人と人は話し合えば、絶対にわだかまりを解消できると信じていたから、愚かにも話し合いの場を設けた。

その日を境に、私たちは会う約束をしなくなった。

もともと私が連絡しなければ、会うことのない関係性だった。

そのことに不満と不安を覚えていたし、そもそも私は彼女に見損なわれていた。

私が彼女になんでも話しすぎて、彼女は静かに私を見限っていた。

私はそのことに気づかずに、まだ修復できると1人で足掻いていただけだった。

もうあの手紙をくれた彼女もいなければ、私もいない。

成長して、人は変わる。

価値観が合う人も変わる。

当たり前のことだし、仕方のないことだし、むしろお互いにとっていいことだったのかもしれない。ただ価値観の合う人と、付き合っていけばいい、それが大人だから。

それでも今日、「春になったら」のドラマを観て、泣いてしまったのは。

うらやましいと思ったから。

40年ぶりに再会して、昔みたいに戻った彼らを見て、私もこんなふうに戻れるかな、と想像していた。

本当に本当に大きな存在を、私は大切にできなかった。

何が起きても、彼女との縁は壊れないとたかを括っていた。

私は今までの感謝を、彼女に伝えきれていただろうか。過去の私は、ちゃんときっちり彼女にお礼を言えていたかな。

もし伝えられていなかったとしたら、もう本当の意味で彼女に届くことはないのかもしれない。

それほど彼女は変わってしまったから。もう戻ることはない。

それはきっと彼女から見た私のことも。

私にとって彼女とは

誰よりも心の開ける人で、
誰よりも素でいられる人で、
誰よりも頼りにしていて、
誰よりも好きで、
誰よりも執着していて、
誰よりも大切で、
誰よりも大きくて、
誰よりも頼りにしてほしくて、
誰よりも隣にいたかった。

親友なんて照れ臭くて一回も言えたことなかったけど、彼女は学生時代の私にとって、親友でした。

またいつか、何年後か、子どもなんてできちゃったりして、お母さんとかおばあちゃん同士になったとき、やっとこのわだかまりは晴れるのかな。

また子どもの頃みたいに、心から笑ってちょっかい出してくれたりするのかな。

まるで恋心のようなラブレターのような想いが、いつかあなたの心の支えになる日が来ますように。

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