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TOKYO2020 オリンピックゆるゆるテレビ観戦記 #4

いやあ、あの結末は予想しなかったな。
もちろん結果が出れば、なるほど、そういうこともあるよな、、、と思えるけれど、あんなドラマの筋書きは書けない。

陸上男子4×100mリレー決勝、日本チームは一走の多田から二走の山縣にバトンが渡らず、途中棄権となって終戦した。三走の桐生と四走の小池は走って勝負することすらできなかった。

5年前のリオの銀メダルが美しすぎるバトンパスで獲ったものだったから、多くの日本人があれを期待したと思うし、何よりも走る本人たちがそれに賭けていたのだろう。
レース直後、解説者からも本人たちのインタビューでも「攻めた結果」という言葉が出た。
結局4×100mリレーのバトンパスとは、そのくらい紙一重なのだ。良い方に転ぶこともあれば、今回のように悪い方に転ぶこともある。

そもそも日本代表メンバーの個々の走力は、誰一人予選を通過できなかったことからして不足しているのだ。それをバトンパスの技術で補おうとしたわけだから、ギリギリの挑戦であることは明らかである。予選を通過して決勝に残っただけでも立派なことだ。

だから今思えば、いつも通りにやればよかったのだ。
私は薄々、5年前のリオでの走りはあまりに美しすぎたので、あんなレースを期待してはいけないと感じていた。
4人が精一杯走って、たとえ最下位になってもそれはそれでいいと思っていた。
それが今の実力で、そこからまた先が見えるだろうと。

まさか「攻めた結果」最後まで走れずに終わるとは、私にはまったく予想できなかった。
選手本人たちは、レース直後はそう言うしかなかったのだろう。チーム戦である以上、4人で決めて「攻めた結果」だと。
ああいうインタビューは見ていて辛い。敗戦後の受け答えとしては精一杯の立派なものだった。誰か一人を責めるわけにはいかない、走っていても走っていなくてもチーム全員で現実を受け入れなくてはいけない、それが伝わってくる苦しい辛いインタビューだった。

私が感じたのは「攻めすぎた結果」なのだろうな、ということだ。
私自身も5年前のリオの4×100mリレー銀メダルに酔いしれた一人だし、その夢の先を追うのはチームとしては必然だ。そして銀メダルの上をいくには今回はまだ力不足で、その不足分を補おうとして攻めすぎた、そういうことなのだろう。
ただ私の持論としては、どんな場合にもふだんの練習以上のことや実力以上のことはそう簡単には出せないと思っている。特にオリンピックのような大きな大会では、いつも通りのことができて初めて結果がついてくる。
「攻めた結果」と言われたら、いつも通りでよかったのに、、、と思ってしまった。

3年後のオリンピックパリ大会、日本の陸上短距離界がどこまでレベルを上げているかはわからない。もちろん個々の走力はもっともっと上げて臨んでほしいが、その上でいつも通りのバトンパス技術でどこまで世界に通用するかを見せてほしい。
実力を出し切って精一杯やってくれたら、メダルに届かなくたって文句は言わない。
4×100mリレー、次も期待していますよ。

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