ロンドンタラレバ駐妻
駐妻生活そしてその中での留学を振り返る時、「人生一度きり」「タラレバ」みたいなことを痛感する。
人生一度きりなんだからやりたいことを!
という文脈ではなく、過去の人生を分析検証しようがないということが言いたい。
会社員のとき何度も言われた「分析とは比較である」ということ。
でも自分の「ロンドンで過ごした29歳」は1度だけで、対象グループとコントロールグループに分けて結果を見るなんてことが出来ない。
なので、SOASのDiplomaコースに通って本当によかった!
と言った時、なぜ良かったか、どう良かったか、説得力を持って語れるか。
「大学ではなく語学学校に通いつづけていたら?」
「無理やりでも大学院に行っていれば?」
そんなタラレバの問いに苛まれながらも(誰からも問われていないのですけどね?)、
SOASのDiplomaコースがあの時の自分にとって1番良かったと言える!という話を、今回は英語力という面で書きたい。
鶏口牛後という言葉を思い出す
何かにチャレンジする時、「無謀ともいえる挑戦」がよしとされている気がする。
目標は高ければ高い方がいい!
死ぬ気で食らいついて奇跡を起こした!
無理だと思っていたのは自分だけでした!
これと真逆になってしまうが、自分に合ったレベル環境にも価値があると思うのだ。
私が英語という面で無謀な挑戦(大学院)をしなくて良かったと1番思う理由は、授業に本当の意味で参加して、心から楽しく学べたからだ。
SOASのDiplomaコース、ELASは正直IELTS6.0の私にちょうど良かった。
正直IELTS対策のおかげか、クラスの中でも英語力が低いということはなく、「理解していないの私だけ?」と心配することがなかった。
堂々と質問できるし、議論のペースにもついて行けるから言いたいことも言える、発言が増えると先生からも覚えてもらえるし、話を振られることも増えて、とにかく「授業に参加している感」を毎日感じられてとても楽しかった。
楽しいので一生懸命勉強して、するとまた聞きたいことが出てきてという感じで、本当にいいサイクルであった。
ここでタラレバになるが、「大学院に無理やり通っていたら」、多分私は分からないことを聞けなかった。
自分の英語力が最底辺であることを自覚している以上、授業を止める勇気たるや、想像しただけで・・。
そして、おそらく授業に「参加した」というより、「どうにかやり過ごす」感じになってしまったと思う。
漢字知ってて良かったと思ったことあります?
別の機会に書きたいが、ELASで中国語も週2時間勉強した。
中国語クラスはSOASの学部・大学院とも共通なので、イギリス人を中心に英語ネイティブの学生がほとんどだった。
そしてまさに実感した。
「ネイティブ同士の軽い会話」のハードル。
字幕なし映画以上の難しさ。何故ならシーンがただ席に座っているだけだから。話題の推測すらできない。
講義ではなく語学のクラスなので、おしゃべり発生率も高い。
どうにか最後まで乗り切れたのは、「漢字が読める・書ける」というアドバンテージのおかげ。本当にそれ以外ない。
「わあ漢字きれい!」
「これ合ってる?」
ここらへんで、どうにかこうにか「ぼっち」を免れた。
漢字を知っていて良かった!!!!!!!!
と思ったことあります?
ただ、どうにか乗り切ったけれど、中国語クラスは大学生活で1番つらかった。
他にも理由があるのだが、とにかく英語についていけないつらさ、周りに哀れまれているだろうなというつらさ。
これが大学生活まるまるだと思うと胃が痛くなる。
褒められて伸びるという言葉もあるしね
極限につらい環境を乗り越えて成長する人の方が多いのかもしれない。
でも私は「授業にちゃんと参加できた」ことで、すごく自信をもって英語を話せるようになった。(自分比)
そして、楽しかった半年の思い出もやり遂げた結果と同じくらい重要と思える。
結局、当時の他の選択肢と比較しようはないのだが、改めてSOASのDiplomaコースという選択をしてよかったと思っているという話であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?