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トマトスープ事件後のナショナルギャラリー

「環境活動家」と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
路上で練り歩くデモ隊、肉屋の前で「肉を食べるな」と看板を掲げる団体。多くの人がそれらを横目に見ては通り過ぎるだけだろう。
しかし、彼らは果たして私たちにとって無関係な主張を声高に叫んでいるのだろうか。

2022年10月14日、イギリスで耳を疑う事件が起きた。場所はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ゴッホやモネなどの名画を多く所蔵しているロンドンのナショナルギャラリー。あの誰もが知っていると言っても過言ではないゴッホのひまわりに、環境活動家によってハインツのトマトスープがよぶちまけられたのだ。「芸術は生活費と地球の危機は芸術より重要か」と主張と共に。彼らの行動に賛成やら反対やらここで書くつもりは無い。彼らのバックグラウンドやゴッホの絵の持つ意味、イギリス政府の方針に私自身明るくないため意見を述べる立場にないからだ。

前置きが長くなったが、この記事で述べたいのは、この事件後のナショナルギャラリーの対応についてだ。事件からちょうど1ヶ月後の11月14日、私はナショナルギャラリーを訪問する機会を得た。絵画にとって痛ましいあのような出来事をきっかけに、彼らはきっと警備やセキュリティーを強化しただろうと予想しての訪問だ。

ところが、実際に行ってみると私は拍子抜けした。
HPで予約が必須との記事を見たため、それに倣い時間を指定し予約。名前や連絡先を事前に登録することから、セキュリティ対策の一環でもあるのだろうと思ったが、館内へ入る際、予約QRコードは一度も確かめられることはなかった。
そしてそのまま簡易的なセキュリティーを抜け、建物の中へ。

徐々に誰でも知っているような有名絵画がある部屋に近づく。するとなにやら子どもたちの声が。とても楽しそうではないか。イベントか何か催されているのだろうか。そして部屋に一歩踏み入れる驚きの光景が。
なんと先生と子どもたちが、あの事件のあったゴッホの向日葵の前に座り、お絵描きをしているではないか。しかも超至近距離で。
果たしてここは1ヶ月前に事件が起こった現場なのだろうか?と疑うほど平和な情景がそこにはあった。

確かにヨーロッパでは日本と異なり、館内で模写をしている人を見るのは少なくない。しかし、こんなに楽しそうにワイワイと名画の前で美術の授業をしている様子には初めて遭遇した。「1回目は絵だけを見て描いてごらん」と先生に指導されたのか、子どもたちのキラキラした目は向日葵を捉え、スケッチブックに必死に筆を走らせていた。時々先生に「もう少し静かにして」と言われながらも興奮気味で自分の絵を先生に見せている表情がなんとも愛らしい。

そして、更に印象的だったのはそれを見守る大人たちの表情だ。子どもたちから周りに視線をうつすと、観光客であろう人々が、皆あたたかい眼差しで子どもたちを見守っている様子が飛び込んできた。なんと微笑ましい光景だろうか。自分でも驚くべきことに、今回のナショナルギャラリー訪問の目的の一つがゴッホの向日葵だったにも関わらず、この光景を目にした途端、なんだか絵なんてどうでもよくなってしまったのだ。


館内ガイドブックによると、ナショナルギャラリーは広く一般に足を運んでもらうために設立されたという。貧しい人、時間のない人にも隔てなく芸術を見る機会を与えたいという意図だ。そのためロンドンの中心地にあり、現在も無料で公開されている。設立の経緯に更に感嘆したのは、議会は「子どもたちにも入館を認めるべき」と主張したことだ。その証拠に、私が訪問した日にも保育園のお散歩の途中だろうか、引率者と子どもたちがずらずらと手を繋ぎながら歩く姿があった。
事件後にも関わらず、信念を曲げないナショナルギャラリーの心意気に驚嘆した。

最後に、軽くだが、初めに記した環境活動家による「芸術は生活費と地球の危機は芸術より重要か」という問いに触れたいと思う。
あくまで私の見解だが、彼らは私たちに単に二者択一を迫っている訳ではないのではないかと思う。なぜなら私は、環境を守るという本来の目的は、地球を守ること→子どもたちが生活できる豊かな環境を残すこと、と考えるからだ。そうすると、エネルギー価格が高騰しているた目下では「生活費」は確かに大事だが、心の豊かさを考えれば「芸術」が果たす役割も大きいだろう。前述の子どもたちの表情がこの答えを暗示しているように思えて仕方ないのは私だけだろうか。

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