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【乳がん振り返り日記 01】

毎年3月は職場の健康診断だ。

職場と同じ市内の総合病院に併設されている健診センターで受けている。

今年も基本健診とオプションで乳がん検診(マンモとエコー)、子宮がん検診も付けた。
30歳半ばくらいから、毎回オプションで付けて検査している。

ただ、去年は乳がん検診をやらなかった。
理由は、去年結婚したので、もしかしたら妊娠しているかもしれないと思ったから、パスしたのだ。

が、この1年間妊娠することもなく、今年の健診を迎えた。
生理が終わったばかりで妊娠していないことは明らかだったので、去年はノーチェックだったこともあり、今回は胸の検査をしっかり受けることにした。

私は20代後半の時、右胸に良性の線維腺腫が出来て取り除いたことがある。
もう10年以上前のことなので、詳しい大きさとか状態とかは記憶が曖昧なのだけど、とにかく怖かったのは覚えている。

「わたし、がんかもしれない…」と泣きながら眠れぬ夜を過ごした。

20代だったので、その時は胸の定期健診は受けていなかった。
だけど、気がついたら右の乳頭が陥没するようになったのだ。

最初は「え?なにこれ?」と思った。
「なんで凹っこんでるの?左はそんなことなんてないのに」と。

数日それが続くとますます気になるようになり、確かネットで色々調べた。

その時にふと目に入ったんだと思う。
「乳がん」の文字が。

一気に怖くなり、母に泣きついた。
その時、母は何と言ってくれたかはほとんど覚えていない。

きっと「病院で診てもらいなさい」的なことを言ったとは思う。
「大丈夫でしょ」とか「ヤバくない?」とか、私が安心するでもなく不安になるでもなく、そんなような言葉は言わなかったような気がする。

そして、実家近くの乳腺科があるクリニックを受診。

細胞診(組織診?)の生検をし、良性の線維腺腫であることが分かり、そのクリニックで局部麻酔をしてしこりを取り除いた。
そのまま様子見とはならなかったから、それなりに大きかったのかな?
それとも先生が「念の為、取った方が安心」って言って取ることにしたのかな?
この辺のことはあまり覚えてません…それだけショッキングだった気がする。

がんではなかったことに安堵はしたけど、20代の多感な時期、まだ結婚もしていない恋愛全盛期みたいな時に、胸に何かできて局部麻酔でメス入れて傷が残るって、まあまあなショックで。
目立たないよう乳輪に沿って切ってくれた小さな傷だけど、胸を少しでも切り開いたっていう衝撃は私の中で大きかった。

目立たないけど、一生消えない傷が残った。
私の右胸に。
それをとても負い目に感じた。

胸に傷があって、将来結婚できるんだろうか?とも不安に思った。


父方の伯母は私が中学生の時に乳がんで亡くなった。

1回目の手術で医者からは「成功。がんは取り切った」と言われたが、しばらくしたら再発した。

家は近所だったし、高校生(男性)と大学生(女性)のいとこがいたので、よく伯母の家には遊びに行っていた。
この時の記憶もおぼろげなのだが、再発しておそらくもう治療が難しいとなり、自宅にいる選択をしたので亡くなる数ヶ月は家で過ごしていた。

今から20年以上前って抗がん剤はあったんだろうか?

伯母の髪の毛は抜けている感じはなく、ちゃんとあったので、1回目の時も再発の時も抗がん剤治療というものをしなかった、ということだろうか。

時代と共に医療は進歩するけれど、今の医療だったら、伯母は助かったんだろうか?
伯母はその時代の最先端で最良の治療をしたわけだから、そんなことを言っても仕方のないことだけれど、自分が同じ乳がんになってみてふとそう思う時がある。

いつかの将来、全く胸を切除することなく、どんな乳がんでも治る日もくるのだろう。
すでに今だって、切らない治療として早期の乳がんでは取り入れられているみたいだから。

あるいは、「がん」という病気自体が発症することなく、事前に防ぐことができるようになっているかもしれない。


…と、話は私の中学時代にまで遡ってしまいましたが、胸に関してはそんなエピソードがありました。

この伯母の乳がんが、のちに私にも大きく関係してくることだと分かるのはずっとずっと後のことです。

また、続きを書きます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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