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懐かしい場所に来たので、ただの雑な日記を

連休、楽しい!
普段は家の近くのカフェで勉強している私ですが、今日は時間もあるし、天気もいいし、気分転換にと思って、久しぶりにみなとみらいに来ています。

私にとって、みなとみらいは思い出の場所。実は私は1年、この横浜で大学に通いながら、仮面浪人生活をしていたことがあります。なんだか、すごく懐かしい気持ちになったので、ふと自分の当時のことを振り返りたくなり、文章書く練習がてら、noteを書いてみます。(書き終わってから、本当にどうでもいい内容になった笑)

■仮面浪人を決めてやってきた横浜

受験生当時、東京への憧れと地元京都への半ば敵意(誰しも故郷が嫌になることってあるんですかね?笑)から、東大を目指していた私ですが、現役と1年間の浪人を経ても、結局成績が上がらず、おまけにセンターで大失敗したことで、あえなく前期で撃沈。後期の入試に備えて、横浜に前入りしたのが忘れもしない2011年3月11日。

そして、ホテルで休んでいた13時頃、あの震災が発生しました。
ホテルの33階にいたため、今までに感じたことがない長くゆっくり、そして大きな揺れに居をつかれ、ホテルの廊下に飛び出て、すぐさま非常階段を33階分駆け降りたことを、今でも鮮明に覚えています。(後から知ったのですが、物理法則上、建物上階にいると揺れが大きくなるのですが、当時の私は無知だったので、ホテルが倒壊すると本気でビビってました笑)

ホテルのロビーが一般人に非常開放され、テレビが設置されると、三陸沖が火の海になっている映像が流れてきて、本当に現実かわからなくなりました。

待たされること10時間、翌日の後期入試がなくなり、センターの英語利用のみで合否判定が出ることになりました。センターに大失敗していた私ですが、英語だけは高得点だったため、その時点で、後期の大学への合格が決定しました。

■“本物の大学生“のようにサークルに入り浸る

そんなこんなで、横浜にやって来た私ですが、入学前から何があっても「1年後にもう1度入試を受けること」と「東大は問題傾向的に自分にあってないから、京大に志望校を変更すること」を胸に誓っていました。

大学の前期授業が始まると、英語の授業があり、私はその初日に少し早めに教室の前に到着して、部屋の鍵が開くのを待っていました。その時、私に声をかけてくる人がいました。それが、Tでした。

Tは、その日の授業が終わった後、サークルの新歓に一緒に行かないかと私を誘ってきました。仮面浪人を決め込んでいた私ですが、浪人時代は自習室に缶詰で勉強して失敗したからこそ、今度はちゃんと息抜きを交えて、メリハリをつけて勉強しようと思っていました。なので、そこまで真剣にサークルに入れ込むとは考えていなかったですが、Tの誘いに乗って、新歓に参加することになったのです。

それから1ヶ月後、なぜか私はその日に新歓に参加したサークルの新歓合宿に参加していました。おまけに人生初の一気飲みをする時に、「俺はこのサークルの部長になります」と宣言し、面白がった先輩に散々に飲まされ、人生最悪の二日酔いになって、床に転がっていました。

その後のことは、書くと長いのですが、結局、私はそのサークルにほぼ毎日顔を出し、まるで「本当の大学生」のように、大学生活をする裏で、授業の合間や土日は、大学の図書館で受験勉強をする二面的な生活を送ることになりました。

■仮面浪人バレからの受験勉強

冬になると、サークルの実質的中心である2年生になることに備えて、1年生でサークル運営のMTGをすることになりました。その頃には、どっぷりサークルに浸かっていた私に、ようやく大きな葛藤が生まれます。

「俺はこんなに仲の良い友達・先輩を裏切って受験勉強をしている。本当に受験するのか?」

それでも、入学前に自分に誓った「何が起きても絶対に受験だけはする」という想いを思い出し、表側ではサークルの2年生になる前提で話を合わせつつ、図書館での受験勉強を継続しました。

しかしある時、図書館で赤本を開いているところを、サークルの部長に発見され、結局私が仮面浪人生であることが、白日の元に晒されることになりました。それを知った友達や先輩は、驚いたようでしたが「頑張れよ」と応援してくれたことは、すごく救いだったことを覚えています。

■クリスマスシーズンのみなとみらいで受験勉強

そんなこんなで、受験勉強をやることになった私ですが、なんとなく大学で勉強することに引け目を感じてしまい、当時住んでいたアパートから自転車で30分ぐらいのみなとみらいで、12月〜1月は受験勉強をすることにしたのです。

冬のみなとみらいといえば、カップルの聖地。世はクリスマスモードの中、スタバで毎日赤本を開いて勉強していました。すっかり暗くなり、人も疎らになったみなとみらいを自転車で走っているときに感じた、冷たい風を、すごくはっきりと覚えています。

結局、センター入試1週間前にオール飲みをする、謎な状態だったのですが、センターは無事に突破し、2次試験に備えて地元の京都に帰ってからは、真面目に受験生となったことも幸いし、志望校に合格することができました。

合格したときは、嬉しさよりも先に、友達や先輩と別れることの悲しさから、涙が出ました。それでも不思議だったのが、あれだけ好きだったサークルでしたが、合格したら、迷いなく退学しようという気持ちになっていたこと。結局、私は「人間関係より、実利」をとる人間だったのです。

振り返ると、確かに小学校の時、塾で仲良かった友達も、自分が成績が上がって上のクラスに入ると、さらっと関係を切ったり、自分よりも頭が良かった友達(結局、彼は灘に行って、学年トップ10常連になり、東大理3に現役合格したので、すごい人物だった)とばかりつるんでいたり、中高でも絶好調でエースになりかけていた時期に受験勉強を優先してさらっとサッカー部を辞めたり、大学でも学生団体を続けると言っていた時にやりたいことができたので前言撤回して辞めて、一緒にチームになる予定だった同期にマジギレされたりと・・・つくづく自分ってドライな人間だなあと思います。

今の会社で受けたFFSという基本的に不変とされる性格を診断するテストでも、rationalityが最上位だったし、今も転職して数ヶ月の会社から、いい機会があったら別の会社に行こうとしているのだから、これからも私はこんな感じだと思います。

■たまに人生振り返るっていいね

みなとみらいに来たことで、なんだかいろんな思い出が蘇り、思わすnoteを書いてしまいました。こんな場所で、何やってるんだろうと毎日自問自答して、当時は惨めな気持ちになっていましたが、こうして、同じ場所に来て、昔を思い出している今日は、よく頑張ったねと10年前の自分を褒めてあげたい気持ちに胸がいっぱいです。

そして、やっぱり自分ってドライな性格だし、そこはもう仕方ないので、そういう人生戦略で行くしかないなと思います(しかしなんだろう、全然幸せになれる気がしない笑。)

何も考えないで書いたので、最後らへん話が脱線しまくりでしたが、みなとみらいの青空と秋の気配に免じて、文章を書く練習だと思って良しとします。

それにしても、結論、みなとみらい、ホント良い街。





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