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“南米の蝶“から始まる、シビックテック

さて、前回大学院前期の振り返りの投稿もできたことなので、再び、クリエイティブリーダーシップ特論という授業の感想の投稿をしようと思います。

■火のないところに、煙は立たない

いきなりですが、みなさんは9月11日、どのように過ごしていましたか?9月11日といえば、アメリカ同時多発テロがあった日です。2001年9月11日から20年、そしてテロから始まったアフガニスタン戦争も8月末に米軍がアフガニスタンから完全に撤退したことで、形の上では終結したということもあり、私はその日、Netflixで出ていた911の新作ドキュメンタリーを見ていました。

911当日に何が起こり、人はどう行動したのか、そしてなぜアルカイダはテロを起こしたのか。生存者から政府高官までのインタビューを通して、911が起こる原因を1980年代にまで遡りながら、生々しく描いた素晴らしい骨太作品でした。(Netflixは何気にドキュメンタリーが本当に素晴らしい)

私は911の時、小学校の高学年だったと思いますが、TVで現地映像が流れていることをかすかに覚えているぐらいでした。大学の同級生が、当時NYにいたらしく、人生観が変わった出来事だったと言っていたのですが、その時は、そういうものなのかという受け止め方しかできていなかった気がします。しかし、このドキュメンタリーを見ると、当時の想像を絶する恐怖と悲しみが感じられれて、衝撃をうけます。特に、飛行機がワールドトレードセンターに突っ込む瞬間の鈍い衝撃音、突っ込んだよりも上階にいたことで避難経路を立たれた人たちが、火災から逃れるために、自分から飛び降りて死んでいく映像は、とにかく言葉を失います。

最近、地政学の本や、授業の一貫で防災に関する本を読んでいて、これらを合わせて読むと、中東がなぜ紛争の火種になっているかが明快にわかり、一気に戦争に対する解像度が上がりました。

例えば、ユーラシア大陸のロシアを中心とした地域は「ハートランド」、その周辺地域は「リムランド」と呼ばれ、いかに過去から現代の国家は、このハートランドを得るために、リムランドを制し、リムランドを制するために制海権を求めるように軍拡を続けてきたという主張には、はたと膝を打ちます。そして、ロシアの海を求める南下政策と、それを阻止しようとする米国が、交易の要所である中東(アフガニスタン)で覇権争いをしてきたことで、国土を荒廃させ、結果的にジハードを主張するアフガニスタンのテロリストを生み出したのです。

火がないところには煙は立たないし、因果応報と言いますが、どんな悲劇にもそれを産んだ原因がどこかにあるというのは、本当にそうだと感じます。アメリカは、テロの後、アフガニスタン戦争とイラク戦争に突入し、泥沼の対テロ戦争に巻き込まれることになります。そして2009年のリーマンショックを経て、アメリカ社会は貧富と人種、宗教、国籍によって分断されていき、その分断は、2016年のトランプ大統領の誕生でピークを迎えることとなります。

社会風刺で知られうマイケル・ムーア監督の「華氏119」を最近見たのですが、ミシガン州フリントの元知事リック・スナイダーが、私欲のために水道水を汚染させたにもかかわらず、当時の民主党オバマ大統領ですらその地を実質的に見捨て、民主党に失望した人たちが、パフォーマンス目的で出馬したドナルド・トランプを祭り上げ、アメリカ社会がいかに分断の道に突き進んだ背景が描かれていました。

社会の仕組みが大きく変わる原点は、到達地点とは離れた場所にあります。しかし、複雑な経路を辿ると、必ずその原因に到達します。現代のアメリカを見ていると、その大元の原点が1980年、もっと言えば、リムランドを制しようとする世界の大局観が生まれた1823年のジェームズ・モンローによるモンロー主義、いわゆる「孤立主義」という他大陸の事情に首を突っ込まないと宣言した政治的ドクトリンから、アメリカが自国の覇権を北米南米大陸を固めるためにカリブ海支配に進出し、結果的に海への勢力拡大、そして大西洋を欧州への高速道路“シーレーン“と見立てて欧州への介入につながっていき、世界大戦が勃発した200年前にも遡ることすらできるわけです。

そう考えると、どんな局所的な動きでも、長期的に世界に大きな影響を与えることがあるということだと思います。

■日本のシビックテックの原点

さて、前置きが長くなりましたが、日本でこの911に匹敵する出来事を1つ挙げるとしたら、奇しくも同じ11日に発生した、311の東日本大震災でしょう。

今回のクリエイティブリーダーの、Code for Japanの関 治之さんという方は、この311で大きな衝撃を受けた1人です。関さんは、東日本大震災の頃、ソフトウェアエンジニアでしたが、震災があったその日に、震災に関する草の根の情報を集約するShinsai.infoというサイトをオープンさせました。サイトには、100を超える情報が集まりましたが、関さんは疑問を感じたといいます。それは「このサイト、あるいは技術は、本当に人を幸せにしているのか?」ということ。サイトは確かに被災地に向かうボランティアの人の情報源として役立ったことは確かです。しかし、最も情報を必要としている被災地の人には、サイトにアクセスする手段がなかったり、そもそも届いていなかったりして、本当に意味で役立てたかというとわからなかったと関さん語られました。

確かに、被災地で求められているのは、ある意味で情報というより物資。そしてそれをもたらすものは、正確な情報に基づいた行政の支援です。しかし、行政は情報の扱いがわかる人材を抱えておらず、特に市民からの草の根の情報をうまく活用できていないという課題がありました。

そこから、関さんは行政がいかに市民と手を取り合いながら、相互に自治体をよくしていく取り組みができないかと考え、Code for Japanという組織を立ち上げました。行政が場を作り、そこに市井の様々なスキルやノウハウを持った人たちが集える場所をインターネット上に構築し、行政をアップデートしていくことを目的にした組織です。

Code for Japanで最も有名な取り組みは、東京都のコロナ情報が集約されたこちらのサイトの運営ではないでしょうか。

これは日本の行政としては異例のオープンソースにしたサイトで、GitHubを利用して3週間で世界中のエンジニアから500件近くの改善を得られたことで、行政サイトとは思えないほどの、わかりやすいサイトに進化しています。

311は日本社会に大きな傷痕を残しましたが、この時のCode for Japanの活動が、“シビックテック“という潮流の原点になったと思います。

■日本にもシビックテックが生まれ始めている

現在、日本の行政で、このようなデータをうまく活用しようという取り組み、いわゆる“シビックテック“が生まれ始めていて、Code for Japanはその旗振り役になっています。

例えば、自治体職員を対象とした、データリテラシーを高めるData Academyの開設とコミュニティ化がその1つ。

サイトの説明によると、“データアカデミーは職員が実際のデータを用いて政策立案プロセスを体験することで、データ分析を課題解決プロセスとして利用できるようになるのが特徴“とありますが、実際にこのようなリテラシーが行政に装着されれば、私たちにとっても、かなりの恩恵があるのではと思います。

(余談ですが、私もデータサイエンティストのリテラシーをつけるために、スキルアップAIのデータサイエンティスト基礎講座を受講しています。といっても途中で止まっているから、この連休中に取り組みたい。)

ただ、シビックテックの最大の威力は、やはり市井の優れた人材を、行政内部に抱え込まずに利用できることにあるでしょう。シビックテックの先に行政職員に求められていくのは、コーディングの技術ではなく、テック人材を中心とした、社会の知をうまくディレクションしていく能力になるはずです。そういう意味で、Code for Japanの行政職員のデータリテラシーを高めるというこの活動は、かなり効果的だと思います。

■シビックテックにはガバナンスが重要

一方で気をつけないといけないのが、こうした市井の人の力を活用する側の行政に正しい倫理観を土台としたガバナンスを持てるかどうかだと、関さんは述べられていました。シビックテックは、その性質上、人々のパーソナルデータを収集することにより、情報の集約やビジュアライゼーション、または行政上の意思決定を合理的に行えるようにすることなどが大きなメリットかと思います。一方、特に今後、10年やそこらで、IoTなどで現在のスマホやインターネットのブラウジング履歴以上に、様々な生体情報が意図しない形で収集される社会になっていくと思われます。

こうした時に、それを利用する行政側が正しい倫理を持っていなければ、前述したフリントの悲劇のような事態が起こるとも考えられます。

経産省が21年2月に発行したGOVERNANCE  INNOVATIONというレポートには以下のように述べられています。

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“ はじめに
我が国は、AIやIoT、ビッグデータなど、サイバー空間とフィジカル空間を高度 に融合させるシステムによって、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中 心の社会、「Society5.0」を目指している。複雑で変化の速いデジタル社会におい て、イノベーションを加速しつつガバナンスを確保するためには、業界ごとに政府 がルール形成・モニタリング・エンフォースメントの機能を一手に担うガバナンスモ デルではなく、課題解決(ゴール)に着目した水平的かつマルチステークホルダー のガバナンスモデルが必要になる。“

つまり、トップダウン的、垂直的にデータを管理していくのではなく、関係者全員を対等に見て、正しい倫理に基づいたルールに則っていく社会を目指す、ということでしょうか。

こうしたSoceiety 5.0を目指す上での好事例として、バルセロナから始まったDecidemという活動を、関さんに教えてもらいました。

Decidimは、「我々で決める」を意味するカタルーニャ語にちなんで、2016年にバルセロナで誕生したオープンソースの参加型民主主義プラットフォームです。このソフトウェアは、さまざまな方法でボトムアップの参加をオンラインでサポートします。バルセロナで2016年にスタートしたのち、世界各地に広がり、スペイン、フィンランド、台湾などをはじめとして180以上の組織、32万ユーザー、160以上のプロジェクトが立ち上がっています。日本においては、2020年10月に兵庫県加古川市で初めて導入され、以来横浜や兵庫県のプロジェクトをはじめ、国のスマートシティガイドブック策定にも用いられたほか、民間部門の取り組みでも活用がはじまっています。

市民が行政のDXに直接参加することができるプラットフォームのようなもので、日本でも加古川市から始まり、さまざまな自治体に展開されてきているようです。

Society 5.0の実現には、まずはこうしたガバナンス・ルールを形成するために必要な民主的なプラットフォームの構築が、まず必要ということなのでしょう。

■終わりに

自動販売機型政府から、市民と相互的に行政を行う。それを支援するものがシビックテックと関さんは述べられていました。デジタルの知見が少ない行政にとって、シビックテックは渡に船と言えるでしょう。

関さんのよう人が旗振り役となって、シビックテックの人材が育ち、増えていけば、オセロ版を1つずつひっくり返すように、少しずつ日本中の行政にシビックテックが実現できる余地が広がっていくと思います。

よく言われる例えに、「南米の蝶の羽ばたきが、北米のハリケーンを生み出す」とありますが、1人や1つの団体の活動が蝶のように羽ばたいて、世界を変える社会を私は望みます。そして、私もその一匹の蝶であれば、この上ないでしょう。

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