27 club、あるいは麻雀プロになった話。

27歳で死ぬと思っていた。

こんばんは。
日本プロ麻雀協会20期後期の平井湊と申します。
1994年7月22日生まれ、先日27歳になりました。
初めましての方はお見知りおきのほどよろしくお願いします。

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(コロナ禍のせいか年齢のせいか驚くほど自分の写真がないですね。Twitterのプロフィールにも使っている、1年半以上前の写真です。)

"27 club"という言葉があります。
才能のあるミュージシャンの多くが27歳で死んだことから生まれた都市伝説のような言葉で、「27歳で死ぬ」ということは「才能がある」ことの裏返しとも言えます。

ぼくが大好きなバンド、”ヨルシカ”のなかでも一番好きな曲「八月、某、月明かり」という曲にはこんなフレーズがあります。

「人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った 考えるのも辞めだ!どうせ死ぬんだから」

高校生の頃は、自分には才能があって間違いなく何者かになれる、という自信がありました。俳句で全国制覇した、という背中を後押ししてくれていた大きな根拠もありました。
その俳句を辞めて、就活で人生初めての挫折を経験して、そのままふわっと社会人になって。それでも「自分は才能がある、だから27歳になったら死ぬんだ」という根拠のない漠然とした気持ちを抱えながら、気づけばそのデッドラインが迫っていることに気づいた26歳の春。
ハイボール缶を煽りつつ桜の散りかけている目黒川沿いを散歩しながら考えました。

「自分が何かしらの才能があるなら27歳で死ねるはずだし、何も才能がないただの凡人なのであれば、なおさら27歳で死にたい」「でもその才能を見つけたり維持したりするための努力をこれまでの人生でしてきたのか?」「自分はどうすれば何者になれるのか?」

もう何缶目か分からないハイボールの空き缶を潰して、ぼくは麻雀プロを目指すことに決めました。

21歳の頃に初めて、それから6年近く全く飽きることもなく続けてきた麻雀。雀荘でアルバイトをしたり、Mリーグを観て一喜一憂したりしたことはあれど、プロになるなんて更々考えたことはありませんでした。努力に対する成長や成功の期待値は歳を重ねる毎に下がっていくなかで、26歳の自分を客観的に見たときに、「何者かになれるかもしれない」可能性を秘めているのはきっと麻雀だ。これももちろん根拠なんてないんですが、自分にとっては大きな決断でした。

そこからプロテストを受験し研修を経て、27歳の誕生日の3日後、2021年7月25日に、正式に日本プロ麻雀協会に20期後期として入会することができました。無事スタートラインに立つことができて安心しています。

とはいえ正直なところ、今はまだ麻雀で食べていけるとは更々思ってもいません。いわゆるサラリーマンを辞めて、麻雀だけで生きていくと決意するような度胸もありません。
それでも、自分でようやく見つけることができた、そして掴むことができた"何者かになれるチャンス"です。かっこわるくてもいいから、少しだけ足掻いてみようと思います。


明日は麻雀プロとしてのデビュー対局、雀竜位戦のF級予選です。
過去の自分とこれからの自分が恥ずかしくないように、しっかりと腕を振ってきたいと思います。

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