養魚秘録『海を拓く安戸池』(20)~堀重蔵氏~
野網 和三郎 著
(20)~堀重蔵氏~
東京水産講習所(現水産大学)の堀重蔵教授が、増殖科の学生を引率して、はじめて安戸池を訪れたのはたしか室戸台風のあった昭和九年頃だったと思う。
その後毎年、七月中旬から下旬にかけて、増殖科の学生を引率して来られ、日本のかん水養魚事業の発祥地として、安戸池を高く評価され教材の中にも、取り入れておられた。教授は人格、識見共に教育者としてまた学者としても、水産界には稀に見る、温厚篤実の方で、私の崇拝する水産人の一人である。夏季休暇を利用して、水産増殖に関しての視察研修に来られ、その最後の日程に安戸池が組み込まれていた。引率されて来る学生は二、三十名で、来春は卒業して、水産界に第一歩を踏み出す夢多き若武者揃いである。
実地視察を終えてから、二時間程度を毎年学生に対して、かん水養魚の実体について、お話を依頼され、心よくその求めに応じていたのだが。一般社会の人にも、海の魚を人間の手によって、つくり育てる事業が日の目を見るようになった、と新聞、その他の報道で伝えられかけていた頃で、堀教授は増殖部長の要職にあり、養蠣学に関しては、特に有名な方であったが、安戸池かん水養魚事業が、世間の耳目を引きおこす現実の姿を、水産の研究家、教育者として、自分の眼で見、知識の勘にとり入れ、今後の水産増殖の将来に対して、教育面から取り入れるべきであるという観点からいち早く、安戸池を訪問したのだと、いうことであった。これが普通の学者の真似の出来ない所で、教授の偉大さを、増殖日本のために、喜こんだのである。稲葉博士も一、二度来池されいろいろと意見の交換も行っていたのであるが、ふりむきもしなかった学者が昨今では、かん水養魚の学者として急激にふえ、次から次へと、書物を発行して名声を売り歩き、金儲けをされているように、聞いているが、その内容は皆業者が作ったデータを集録したものばかりで、ご本人の研究になったものではないように聞かされ、誠にさびしい限りである。