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子育て中のいまだから気づけた「なりたい母親像」がここにあった。

◆心鷲づかみにされた強烈なフレーズ。

先日、本棚の奥にあったのを見つけ、ひさしぶりに読み返しました。吉野朔美の『ぼくだけが知っている』全5巻。奥付を確認すると1995年4月30日第1刷発行とあるので、本作との出会いは高校1年生の春ごろだと思います。

当時はまだ、コミックにビニール掛けをしていない書店も多かったのですが、新刊コーナーで見かけて絵が好みだという理由で何気なく手に取り、パラパラとめくったときに、こんなフレーズが目に飛び込んできたのでした。

恥ずかしかった
兄は まさか
誰も まさか
3歳児が
己を恥じているとは
思わなかったろう

これは一体どんな話なんだろう?
とにかく読んでみなくては。そう思わされて、レジに駆け出したのを覚えています。

物語の主人公は、みんなより少しだけ観察力にすぐれた小学4年生の男の子。
彼が体験する日常や、その中で起こるちょっとした事件が、こどもらしい瑞々しい視点で描かれていきます。

こどもの世界って、大人からは美化されがちですが、けっして楽しいことばかりではないですよね。
本作でも、家族や友達との会話、学校生活で強いられる我慢など、
こどもだからこそ、我慢しないといけないこともある。

高校生になった当時も、1日がとても長く、1秒の間でさえ辛く感じていた私は、主人公の「らいち」を自分に重ね合わせて、夢中になったのでした。


そうか
これは夢だ
夢なんだ
でも夢だって
目が覚めるまでは
死ぬほど怖い

ワリバシとタコ糸で作った
小さなかわいい絞首台
じっと見ていると怖くなる
自分の首が吊られるところを想像して
生きる気力がわいてくる
これが僕のおまじない
ポーの「黒猫」を読んでから。

学校は好きじゃない。親友というほどの友達もいない。
そんなこども時代を送った私のような人間が共感しやすいエピソードがたくさん登場するところも、本作の魅力といえるでしょう。


◆大人になって読み返すと、主人公の母の強さに驚かされる。

購入当時にずいぶん頻繁に読み返していた記憶があるのですが、そのころと今ではずいぶん感じ方が変わりました。

あのころ、なぜ本書に心惹かれるのかうまく説明できませんでした。
最近になって理解できたのですが、どうやら私は、主人公の母に憧れていたようなのです。

始業式の日、気分が乗らずグズグズする主人公を見て
「お休みする?」
と声がけをする母。

「月に一度の“もしもの日”を始業式の日に使っちゃうなんて
 お母さんならもったいなくてやらないわ
 でも らいちがそうしたいなら止めないわよ」
「これも“もしもの日”?」
「当然よ
 どうするの?
 お休みするの?」
「……行く」
「じゃあさっさと仕度しなさい」

もしも休みたいなら、月に1回だけズル休みOKという特別ルール。
そんな逃げ道を作ってくれたり

いじめっ子の上級生に目をつけられて悩んだらいちが
“おまじない”として木にロープを吊るしていたところに出くわし、
自殺しようとしているのではないかと心配して言うセリフもグッときます。

「死ぬ気があるなら いっそ殺しておいで」
「おんなじことだから 殺してこい
 お母さんがいっしょに引き受けてあげる」

道徳的には間違っているとしても、
全面的に、理由なしに、こどもの味方。

私の母は「自分の気分」と「見栄」を優先するタイプで、盲目的にこどもの味方になることはありませんでしたが、今さらながら、弱っていた時にこういう風に声をかけてくれたら救われただろうな、と感じたりするのです。

私自身が子育て中の今、「母親とて、一人の不完全な人間である」という事実に毎日直面しています。自分の都合で急がせたり、理不尽な理由で怒ってしまったりして落ち込むこともあります。

でも、将来こどもが困ったときには「らいちの母」のように振る舞えたらいいなと思っています。

「人に助けを求めることも 勇気なのよ
 がまんができないのは恥ずかしいことじゃないのよ
 がんばれ」

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