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人生の節目で立ち止まる場所としてのゲストハウスでありたい

昨日、一人の女性が約1年ぶりに僕のゲストハウスみなと丸に宿泊してくれた。
その人は大体いつもこの時期に遅めの夏休みを取るんだと言い、昨年もこの時期に初めて訪れてくれている。
関東で暮らす彼女は今回の夏休みも東北へ行こうと、岩手と宮城へやってきたようだ。

初めて来てくれた昨年、彼女は日常に疲れているところがあり落ち着いてゆっくり過ごせるようなゲストハウスを探してみなと丸を見つけたと言う。
何やら訳あり気な様子を感じた僕は、じっくりと彼女に向き合って話を聞いてみることにした。

すると、おそらく自分からは多くを語らないであろう彼女の口から、少しずつ日常の中での悩みや不安などがこぼれ落ちてきた。
終わってみれば自分が思っている以上に疲れ切っていたと感じたようで、「じっくり静かなみなと丸の空気感がありがたかった」とゲストブックに書き残してくれていた。

彼女はそんな自分の1年前と再会するかのような宿の使い方をしに、今年再びみなと丸を訪れてくれた。
僕にとって彼女のような宿の使い方は一番理想としていた形だなと思う。

日常から離れ一度立ち止まってみて、みなと丸で僕や他のゲストさんなりと話をして何かを感じ日常に持ち帰っていく。
それは何かこう人生の節目節目に起きる出来事によって生まれるサイクルなのかなとも思っている。

僕の中ではそうやって人生の中で大小ある分岐点に差し掛かったときに、その人に寄り添って穏やかな気持ちを味わってもらえるような宿でありたい。
ある意味、肉体よりも心を休める宿でありたいという気持ちだ。

彼女は1年前の自分と今の状況を、みなと丸を通して相対的に見ていたように感じる。
最後に「また次の機会に”再会”する自分はどんな様子か楽しみ」だというような書き置きを残して日常に戻っていった。


僕もまた1年後はどんな宿にできているだろうか。楽しみだ。



というわけで、明日も心穏やかな1日を。

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