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【デュアルライフ夏休み 2日目】朝5時46分から散歩をしてみる。

自分の街をよく知るために自分の足で歩いてみる。

セカンドハウスができてからまだ間もないので、自分の新しい街のことを正直よく知らない。今日は朝早くに目が覚めたので、散歩しながら8-1番の見所である海岸を散歩してみることにした。

これまではドライブをして10分楽しめていたし、駐車料金が高ければ、海岸の中でも安い端のほうの駐車場に止めていたが、朝5時代になると、そもそも駐車場も無料になっているので、どんな場所でも止めやすい。これはやっぱり家を持っている人の特権なんだろうな。

ドライブをして海岸線を眺めると、その時間はあっという間に過ぎてしまうので、細かいところまでしっかり見ることができない。

散歩をする、近場の草花や、波一つ一つの水しぶき、波の音、周りにいる人たちの声、鳥の鳴き声や、太陽の美しさなど、視覚情報だけじゃなく五感で色々と感じることができるのはすごく楽しい。

(歩いてみて思ったが、朝の日差しは横から入ってくるので、サングラスはあったほうがきれいに見える笑)

朝の海岸は誰もおらず美しい。

この場所は、千葉の中でも有名な会場の1つなので、日中車でドライブをして眺めていた時は、とにかくたくさんの人がいることに驚いていた。緊急事態宣言下ではあるものの、1部の場所だけは開放している。

こういう状態家でも、かなりの人が集まっているので、もしこういう状態でなければ、それはそれは大勢の人がこの期間に関しては集まっているんだろう。

絵画を眺めてみると、いつもとは違う様子。ほとんど人がいない。もちろん地元の人や1部のサーファーは海に既に入っているが、平和いる自然だけが残っている状態に近いなぁと思う。

夏と海と言うイメージは、僕の中では既に固定化されていたことに気づく。つまり、大学生や若者が集まって、みんなでおいしい食事や飲み会を開きながら海水浴を楽しむいわゆる「あの」状態。

でも、こうして人がいない海を眺めていると、ここには本来の美しさがやっぱりあったんだなぁと思う。目の前に入ってくる文もそうだし、少し遠くのほうに見える家家の様子なんかも趣深かったりする。

1部南国のヤシの木や、ソテツのような気が生えているが、それらも遠くから見ると、本当に南国の風景の方できれいだ。

何もないと言う幸せについて考える

最近仕事柄、幸福には3つのタイプがあると言うことを聞いた。それは、セロトニン的幸せ、オキシトシン的幸せ、ドーパミン的幸せの3種類。

ドーパミン的幸せと言うのは、都会でよく感じる、成功や、お金的な豊かさ、興奮するなどの感覚だ。

オキシトシン的幸せは、家族や友人恋人などとの人のつながりを感じる幸せだ。

最後に起こしていたセロトニン的幸せというのは、健康に関する幸せだ。例えば散歩しているときの幸せや、運動をし終わった後の幸福感。そういったことが仕事に行ってき幸せに入るわけだが、実際に都会にいるとほとんどそれを感じる事は難しい。

以前に、都会は情報量が多いと言う話をしてこれがまさにそれが原因だと思う。都会では、どんなにゆっくり過ごそうと思っても、どうしても目の前に入ってくる情報量が多い。一つ一つは意味のある情報でも、多くなればなるほどほとんど雑音や考えを妨害してくるものにつながってしまっている。

一方で、朝の田舎と言うのはほんとに静かだなと感じる。散歩しても、目の前に入ってくる情報は海と木。

ゆっくりと歩いているだけで、自分が生きているなぁと言う実感がする。

きっとこれが、都会では感じにくいセロトニン的幸せの醍醐味なんだろうなぁと思う。

都会に入ってしまえば、ドーパミン的刺激を得られるので、それはそれで楽しいことがいっぱいあるが、一方で入っても入っても足りない、焦燥感と、1種の欠乏感が常につきまとう。

でも、田舎の中で感じる、散歩をしている幸せや、生きていると言う感覚は、それらとはまた全然次元の違う幸福感を与えてくれる。

やっぱり人間であれば、こういったバランスが必要なんだろうなぁと思う。

今日は朝の散歩からそれを感じられて非常に気持ちが良い。

ではでは。

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