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【第36回】「"運"は数学だ」港区賃貸の僕が、なぜ田舎にセカンドハウスを買うのか。

セカンドハウスを建てるときに良く思ったのは、動くことで大きく変わることがあるということだ。それは以前のエントリーにも書いたのだが、ここでは、運についての考えを書いてみたいと思う。

良く、ちょっとでも人がやっていないことを実現できている人をみると「運がいいからだ」という人たちをよく見る。「共働きができていいですよね。うちは違うから...」とか「そんなに年収がもらえていいですよね。僕はあんまり恵まれてなくて...」とか「そんな場所が見つかって、運がいいですね」とかそういう関連のことを言ってしまう人は本当に多いなと思う。

日本人はグローバルに見ても「運」というものを信じているようだ。下記はある記事の抜粋だ。「キャリアは何によって形成されるのか?」という質問に関する回答ということ。

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僕は基本的には「運」というものに対して、自分でコントロールできると思っている。思っているというか、確信しているw。これは事実だ。

運という一件ロジカルではないことを、めちゃくちゃロジカルな数学的に捉えよう。そうすると僕が確信している理由が分かるはずだ。

まず、運というのは、「良いことが当たる確率」のことだ。僕がイメージするのは、人生ゲームの「サイコロ」と「マス」だ。

運を深く考えない人は、「サイコロをふったときに良い数字がでて、良いマスに止まること」だと思って、それ以上考えない。そのサイコロとマス自体はそのとおりだが、以下のことが重要だ。

(1)サイコロを変えることが自分の努力でできる。 具体的には例えば、6という数字がよい数字だとしたら、他の1~5の面を6に変えていくことができる。つまり失敗する確率を減らす。勉強をするなり、知識をためたり、物事が起こったときの対処法を変えれば良いだけだ。小学生から大学まで勉強をして、しっかりとした考えを持てるようになること、また社会人になってからも勉強をし続けて、自分の能力をUPし続けること、これはサイコロの目を自分の好みに増やしていくことと同じである。ある場面に有ったときに良いことができる能力をUPさせるのだ。

(2)良いマスが多い道を選択するのは自分である。 世の中には、良い道と悪い道があることはおそらく多くの人が知っている。しかもそれはどこにでも無数にある。良いマスが多い道を選ぶということは、例えば会社を選ぶとき、パートナーを選ぶとき、仕事を選ぶとき、何かをするときには常に存在している。だから、常に「良いマスが多そうな場所に自分をもっていけば良い」だけだ。逆に、例えば世の中的に良くないと思っている場所に行かないようにすれば良い。それは俗に言うと悪の道であったり、治安が悪い場所であったり、するわけだ。

(3)たくさんサイコロをふればよい。 よいサイコロと、良い道を選べば、あとは降る回数である。俗に言うと、これは、行動力とも言える。行動する回数を増やせば、サイコロを降れる数が増えるわけだから、1~5が出たとしても、何回もやっていれば、6はでる。だって確率だから。

まとめてみると、良いことが起こる確率(俗に言う運の良さ)というのは、「良いサイコロ」×「良い道」×「サイコロの降る数」だけである。非常にシンプルであり、しかしこれは、数学である。

正直こういうことは学校でも教えたほうがいいと思う。「運がいい」って言う人は、要するにその原理に気がついていないだけだと思う。

※ただし、時間はかかる。いきなり連続で6を100回だすことは確率的に圧倒的に低い。これも数学だ。

ではでは。

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