LGBTと女装について考えていること

先日書いた記事に関して、Twitterでコメントを頂きました。

いわく、「趣味で女装してる人と、LGBTQは別物だよ。女装は単なる変身趣味じゃないか」と。
どうやら、性別に悩んでいるわけでもないわたしがLGBTという単語を使ったことで、トランスジェンダーと女装を一緒にしてほしくない、迷惑だ、とおっしゃっているようです。

トランスと女装の違いについて語っておられる方の動画も紹介していただきました。

もし、先日書いた記事に関してわたしがなにか考え違いをしていて、そのせいでLGBTの(その中でもトランスジェンダーの方の)気持ちを傷つけてしまっているのだとしたら、それはとても良くないことだと思っております。

なので事情を理解しようとして何度かやり取りをさせていただいたのですがうまくいかず、無理にやり取りを続けるよりも、他の方の意見を聞いてみるのが良いのではないかと考えました。

話の経緯

おそらく問題になるのは、このあたりの記述かと思います。

まあな、浴衣着た女の子だと思ったら男声で答えたらビビるよな、おばあちゃんにLGBTの理解はないよな、と思いつつ、それからわたしは女の子声の練習をはじめたのです。

https://note.com/minatokamome/n/n064eca459069

その後あれこれ話をしても、あのおばあちゃんみたいな反応されなかったということは、少なくとも話をして違和感がない程度の存在にはなれているということだよね...🤔

もちろん、若い世代の方はLGBT的なのに理解があって、気づいても気にせず話を続けてくださっていただけかもしれないですが。

https://note.com/minatokamome/n/n064eca459069

わたしの思い

トランスジェンダーの方が、女装と一緒にしてほしくないというのは、わかります。

人生かけて性別について悩んでるトランスジェンダーと、気楽に遊んでる女装を一緒にするなってことですよね。

上の動画のあきさん、メイクを学ぶためにフルメイクを毎日三回くらい練習していたと言われていて、一日一回ですら面倒になるわたしは、そりゃあ覚悟が違うよねと思いました。

女装を楽しみつつ、温泉はいるときは男性に戻ったりして、都合よく使い分けているなと思うこともあります。

そういう気楽なのと、人生かけて性別について悩むのは違うんだ、そこまではわかります。

共通ステージ

でも。女装と性別に悩む人、共通するところだってたくさんあると思うのです。

こちらの記事でも、「可愛い服を着たい、可愛い小物を身に着けたい、スカートが履きたい、これらは女装さんにもトランスさんにもあります」と言われています。

わたしはまだ経験が短いので断言できないですけど、最初は女装だと思っていたけれど、しばらくやってみたらこれはやっぱり性別の違和感なんだと気づくというケースも、けっこうあることなんじゃないでしょうか?

ホルモン治療とか手術とか、単なる女装では経験しない領域があることは確かだと思います。同じことをしていても、いつでもやめられる女装と止めることのできないトランスは違うのだ、という記述も目にしました。

けれども、性別に違和感を持ち始めたばかりのトランスジェンダーの方と、女性の服を着てみたかった女装、服をどうやって買えばいいのか、メイクってどうやるの?怖くて外出できない、そういう悩みは共通なんじゃないのでしょうか?

そもそも、「性はグラデーション」って考え方自体、戸籍上の性別と見た目振る舞いは異なることがありますよという考えですよね。じゃあ戸籍上の性別を変更しようとは思わないけど、女性の服が着たいですという人だってLGBTQに含まれるのでは…?

思い上がりですか?

わたしは、女装状態で落とし物をして、受付に届いていたのだけど、身分証を掲示できないから返してもらえないという体験をしました。なるほど法律上の姓名しか証明できない免許証って全然機能が足りないのですね…

宿を予約する時、ここで聞かれる性別ってどういう意味なんだろう、と違和感をおぼえるようになりました。法的に男性だからそう答えておいたほうがいいのだろうけど、そうしたらきっと色浴衣貸してもらえないんだろうなあ。男女じゃなくて、「どっちの風呂を利用しますか」「色浴衣着たいですか」と解像度高く聞いてくれたらいいのに…

女装してるひとはややこしいからだれでもトイレ使うべきでしょ、と思っていた考え方が一変する経験もしました。

そういう学びは、女装して自分の身に起こる出来事として経験したからこそ得られたもので、男性姿のままずっと過ごしていたら決して得られなかったものだと思っております。

だから、すくなくとも女装を経験したことのない男性よりは、性的少数者の方の思いを理解できていると思っていました。

そのタイミングで今回、一緒にされて迷惑と言われたことで、あれ何か勘違いしていた?もしかして女装ごときがLGBTについて学んでいると、それは迷惑になってしまうの?と迷いが生じています。

LGBTという単語で伝えたかったこと

わたしの記事に話を戻します。

見た目女性ぽいのに男性の声で話す人と会ったときにビビるかどうかって、「性はグラデーション」という概念を理解しているかどうかで決まると思っています。その意味で、多様性を理解しているかどうかという意味で、わたしはここでLGBT的と書きました。

もちろん、若い世代の方はLGBT的なのに理解があって、気づいても気にせず話を続けてくださっていただけかもしれないですが。

https://note.com/minatokamome/n/n064eca459069

今思えば、この文脈で性指向は関係がないから、LGBTではなくて「性別の多様性」と書いたほうが良かったのかも。このへんで考えが甘くて人を傷つけるポイントがあったのでしょうか?そういう点を指摘していただけるのであれば、ぜひ学ばせていただきたいと思っております。

でも、なんか今回のご指摘は、そういう話じゃないっぽくて、たんに女装がLGBTについて語ったらその時点でいけないことだと指摘されているようで、その点が理解できずに戸惑っております。

まとめ:女装がLGBTについて考えてはいけませんか?

わたしの経験や考えていることは、人生かけて性別について悩んでいる方から見たら浅くて間違っているのかもしれないです。実際トイレの扱いについての最初の考えは甘かったし、女の子声出せるようになったからと言って性別の悩みは解決しないという経験もしました。

それでも、そうやって間違いに気づけたということは、男性のまま過ごしていた頃よりはずっとましになってきていて、これからも学んでいけばより深く理解できるんじゃないのと思っていました。いずれ機会があればそういうイベントにも行ってみたいなあと。

女装はLGBTについて語るなと言われてしまうと、わたしはこれ以上考えを深めることができなくて、LGBTは危険な単語だから使わない、LGBTに関する問題は関わらないという態度を取らざるを得なくなってしまいます。

そんな結論は誰も幸せにならない、LGBTの問題は当事者以外が考えるようになってようやく解決に向かう、だからわたしはこれからもこの問題について考え続けたいと思うのですが、それって誰かを傷つけてしまう考え方なのでしょうか…?

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