ウィスキーと歩く【Lycian way2】

一夜を共にしても、私たちはまだウィスキーと打ち解けていなかった。

だって、彼は誰かの"所有物"かも知れない。

だから、やたらめったら可愛がるのはやめようと誓っていた。

ただ、彼には彼の人生がある。

選ぶ権利があるのだ。 

食事もまともに与えられない私達についてくると言ったら、それまでだ。

来るもの拒まず、去るもの追わず

これが、Lycian way dogに敬意を示す手段であると信じていた。

さて、この日はアフリカのような赤土の大地から始まり、山を越え、海辺を目指した。

途中、放牧中のヤギの群れと何度か遭遇した。

その度ウィスキーは牧羊犬のようにヤギたちを追いかけて、ひとまとめにしていた。

本能とは凄いものだと話していたが、もしかすると、彼は遊牧一家の一員だったのかもしれないとふと頭をよぎった。

赤土の大地を過ぎたあたり、これまたオフシーズンのペンションを通ったら、そこの飼い犬がフェンスを飛び越えて着いてきた。

どうやら、こちらの飼い犬は予想以上に自由らしい。

彼は私たちには一切興味を示さず、嫌がるウィスキーに執拗にじゃれついた。

私たちはこれまた何度も彼に帰宅を促したが、聞く耳を持たない。

「イヌゴシカワカリマセン」

彼には名前をつけてないから、大きい犬と呼ぼう。

大きい犬は、途中ガラスを踏んだのか、何度も立ち止まっては足の裏を舐めて唸っていた。

手入れの行き届いた、かわいらしいペンションだった。

愛されているに違いない。

わたし「痛いんだったら、おうちに帰りなよ。私達は何もしてあげられないよ」

大きい犬「……」

こうして、また仲間が増えた。

ウィスキーは相変わらず大きい犬を嫌っている。

テンションも大きさも違いすぎるのだ。

村を見下ろす丘の上で休憩した。

麓の村からアザーンが流れてくる。

わたしたちは、アザーンのときは会話をとめる。

自然と決まったルールだった。

自然の中で聴くアザーンは格別だ。

神は、いるのだろう。

祈りや信仰は、なんてうつくしく、儚い行為なのだろう。

存在しないものに価値を生み出すのは人間だけだ。


昼ごはんを終えると、大きい犬が思い付いたかのように家の方向にむかって歩きはじめた。

もちろん、さよならも言わず。

去るもの追わず

また3人匹で歩きはじめた。

オリーブ畑の村沿いを歩く。

おばあちゃんが、採れたての洋梨をくれた。

途中、ウォーターポイントの水が枯渇していて、目の前にあったオフシーズン中のペンションをノックした。

主人はとても親切で、私達を招き入れてゲスト用のテラスとキッチンを貸してくれた。

ここで水を補充し、携帯を充電し、水筒にお湯を入れて、ランチを食べた。

ランチは、たいていサンドイッチ。

ジョージアでもらったアジカというパクチーとにんにくと唐辛子のペーストと、マヨネーズ、町中でもらったフレッシュバジル、オリーブ、チーズ。

チーズは贅沢品なのに、テーブルから落として全部土まみれになってしまった。

土のついた部分をナイフで切り落とし、何事もなかったかのように容器に戻す。

切り落としたチーズの土を拭い、パンに塗った。

ウィスキーにあげるのだ。

この間、ウィスキーはどうにか庭に入れないかと、フェンスの周りをぐるぐるしていた。

くぅーん、くぅーん

待っててね、ウィスキー、おいしいのあげるから。

ランチを終え、ブルジョワブレッドを与えた。

彼に味の違いが分かったかは、定かでない。

さて、ここでひとつアイディアが浮かんでいた。

農家さんからオリーブを買うのだ。

さっきのペンションは忙しそうで、それどころではなかった。

少し歩いた先に、家を見つけた。

門の前にバックパックをおろし、玄関に向かう。

ウィスキーがきっと、荷物番をしてくれる。

彼は、働き者だ。

昨夜も夜な夜な見えぬ敵(風の音)に吠え、わたしたちを守ろうとしてくれていた。

さて、玄関に向かうと、ひとりの青年がやってきた。

「オリーブを売ってくれないか」

「もちろんさ。中入って」

そんな感じで、2階の土間に通される。

「チャイ?」

と訊かれ、うなずくと、チャイと一緒にオリーブとウォルナッツと焼き立てのトルティーヤがでてきた。

お母さん、他3人の兄弟がぞろぞろと集まってきた。

なんやかんや質問されるが、こちらも長居できるほど時間がない。

とにかく、オリーブを試食する……

……渋い!

口に入れた瞬間、全部の水分が奪われるように感じる。

友人を見る。

「ねぇ、どうする?」

「いいんじゃない。」

私の舌がおかしいのかと、5個食べてみた。

…どれも渋い。

友人はこれでいいと言っているが、わたしはまずいから買いたくないと言えずにいた。

なぜなら、子供たちが英語を理解するからだ。

ママ「20リラでどう?」

わたし「……うーん」

ママ「わかった、タダでいいわよ!ゲストだもの。」

と、1.5kgぐらい袋に詰めてくれた。

まずいからいらないとは言えず、タダでは申し訳ないので10リラ払って退散した。

帰り際、みかんとトマトとじゃがいもを一緒に詰めてくれた。なんて有り難い…

ウィスキーはちゃんと荷物番の任務を遂行していた。

家族に礼を言い、写真を撮り、歩き始める。

日没まであと2時間。

山を下ると、オリーブ畑に抜けた。

ここで、ものすごく大きい犬がこちらに近付いてくる。

これはトルコで古くから飼われているカンガルという犬種で、かつて戦争にも使われていた。

彼らはとても賢く、村人の顔をすべて認識し、部外者が来るとひどく警戒する。

目線の高さは、私と同じで、伝統に倣いスタッズのついた首輪をしていた。

どう見ても獰猛で勝てそうにない。

大人しかったが、とにかくこわかった。

別の道にしようと、もう一方の道を歩き始めると、またカンガルが今度は3頭、こちらに向けてものすごい剣幕で吠えている。

戻るには、もう一度山を越えることになる。

日が暮れたら平地を探すのが困難になる。

すると、飼い主のおじさんがやってきて、3匹を抑え付けてくれた。

「早く通って」

と言われ、急ぎ足で通る。

振り返ると、ウィスキーが立ち止まっている。

足がすくんで動けないのだ。

わたしは道を戻って、彼を抱きかかえてその道を通った。

それまで一度も触れなかったウィスキーに触れた瞬間、愛情が込み上げてきた。

あぁ、わたしが守らないと。


山をさらに下り、海辺に辿り着く。

ごつごつ岩とトゲトゲした植物たち。

ここはトレイルが未開発だから、植物が生い茂って歩くのが困難だった。

ようやく見つけた平地。

だけど、石だらけだった。

もう陽が暮れていて、他を探す時間はない。

砂利を足で退けてテント場を作っていると、ウィスキーが手伝ってくれた。

彼の熱心な仕事の結果、地面に穴ができた。

穴の上にテントを張る。

石でかまどを作り、焚き火をする。

乾いてよく燃える木だったから、すぐにお湯が湧いた。

途中で摘んだミントでミントティーを作り、これまた道端で摘んだマロウというモロヘイヤと同じアオイ科の野草を茹でて、にんにくと和えた。

メインはパプリカの中に茹でたじゃがいもとチーズを詰めて炙ったもの。

道で拾ったインスタントのスープも、じゃがいもとハーブを足して有り難く頂いた。

晴れはいい。

良い火を起こせるから、ご馳走にありつける。

実は、この夕食の会話の中で、彼の名前が決定した。

彼のべっ甲飴みたいな透き通った茶色い瞳から、ウィスキー。

拾った薪をすべて燃やしきって、眠りにつく。

今日も、海から昇る月は見れなかった。





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