見出し画像

ISSEY MIYAKE~ファッション~

2022年8月5日、三宅一生氏が亡くなりました。享年84でした。
日本のファッション歴史に名を残す三宅一生さんのことをより知って置かなければならないと思い、今回、ISSEY MIYAKEをトピックとして選びました。

三宅一生さんについて

1938年、第二次世界大戦中に生まれ、
広島で、7歳のときに被爆。
小学4年制で骨膜炎を発症したが、奇跡的に命をつなぎました。

戦後70年を迎えるまで、被爆者としての経験を語ることはありませんでした。

「自分も長くは生きられないだろうから、30歳か40歳までにできることをやろう。原爆を言い訳にしない。そう心に決めました。」

「ピカドンデザイナーなんて言われたくなかった。」

と三宅さんは語っています。

デザインやコレクションから、人間の明るい生・笑顔・多様性(人種・体型)、また、そこから平和を感じるのは、彼の生い立ちからくるものもあると考えます。

大学卒業後パリにわたり洋裁学校でファッションの基礎を学ぶ。
その後仕事をしながらパリに残り、
パリ五月革命を目にする。富裕層のための服ではなく、「ジーンズやTシャツのような生活の一部」になる衣服を作りたいと思うようになったそうです。

ISSEY MIYAKE

1970年 三宅デザイン事務所を設立
日本を拠点にものづくりを行う。

1973年 イッセイミヤケAWコレクション パリコレ初参加

一枚の布というコンセプトは世界に衝撃を与えました。
細かい布のパーツを縫い合わせて立体化するのが、一般的ですが、
「布を切らず身体と布の間に生まれるゆとり、
”間”が着る人に心も身体も自由にする。」ということに着目し
製品が作られました。
ものづりとは素材づくりと考え、
糸や生地作りから開発・ものづくりを行っており、
動きやすく、収納しやすい、服を作るという概念は、
生活に根付いたものであり、
ほとんどの服にポケットがあしらわれていたり、
自宅の洗濯機で洗うことができることも、
生活に近いところでデザインが考えられていると感じます。

イッセイミヤケの代表的なライン

プリーツプリーズ

ブランドとして登場したのは、1993年
1988年から独自のプリーツ技術を使った布が使われた衣服はあった。
これは、衣服の形に裁断の後プリーツをかけるものだった。
Pleats PleaseのPleaseには喜ばせる・楽しませるという意味があり、着用した際の心地よさ動きやすさ、素材の軽さに驚かされることでしょう。

バオバオ

ピースを組み合わせ構成することで自由自在な形を無限に作り出す革新的なコンセプトと製法によるバッグブランドです。
三角形のピースを組み合わせたバッグは独特の立体感を作り出します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?