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THE YELLOW MONKEY 『JAM』 が描く「曖昧で不条理な世界、具体的で無力な自分」と「祈り」

THE YELLOW MONKEY『JAM』。

名曲だ。歌詞についても色々なところで考察されている。
朝日新聞の広告に「残念だけど、この国にはまだこの曲が必要だ」という言葉とともに歌詞が掲載されたのが2016年の話。

僕は「まだこの歌が必要」どころか、今だからこそ考えられ、語られるべき歌だと思っている。
特にショッキングな

ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」

の辺りだけが語られがちなんだけど、このフレーズが描き出したもの……日本の、あるいは世界の、あるいは共同体の「不条理」は、この曲の片面に過ぎない。

「曖昧で不条理な世界、具体的で無力な自分」。
一言で言えば、この曲から見えてくるのは、この二項対立だ。
当初の情勢やバンドの状況……つまり、歌詞の外側のコンテクストには着目せず、歌詞から読み取れる情報だけに着目したい。
さあ、語ろう。

さて、冒頭のフレーズ。

暗い部屋で一人
テレビはつけたまま
僕は震えている
何か始めようと

非常に具体的だ。容易にビジョンが目に浮かぶ。
「具体的で、無力な自分」(彼) が、確かにここにいる。
その状態で、歌はこう続く。

外は冷たい風
街は矛盾の雨
君は眠りの中

急に解像度が下がる。「外は冷たい風」はともかく、「街は矛盾の雨」は冷静に考えるとどういう意味か、少なくともまだこの段階ではわからない。
そして眠りの中にいるであろう「君」に思いを馳せる。
これは「彼」の想像の世界の話だろう。

時代は裏切りも悲しみも
全てを僕にくれる
眠れずに叫ぶように
身体は熱くなるばかり

「街」、あるいは外側の「世界」を包括するこの「時代」。
その濁流が「裏切りも悲しみもくれる」のだと、そうやって「外側」と「自分」の関係性を定義づけている。
まだ歌は始まったばかりだが、既にこの歌が「世界と自分」についての物語であると、十分以上に宣言しているのだ。

儚さに包まれて
切なさに酔いしれて
影も形もない僕は
素敵なものが欲しいけど
あんまり売ってないから
好きな歌を歌う

ここも有名なフレーズだが、よく読むとかなり唐突だ。
「儚さに包まれて 切なさに酔いしれて 影も形もない僕」。
分かるようでいて分からない、ようでいて、分かるような……

確実に分かることは、ここで大きく抱えているのがこの不条理な世界に対する、「彼」のどうしようもない無力感だ。
「彼」は確かにそこにいるのだけれど、「曖昧な世界」に対して、「どこ」に「自分」がいるのか、それは全く分かっていないのだ。
「好きな歌を歌う」というのは「彼」なりの反逆なのかもしれない。

そして2番。
「自分と世界」の物語に、「君」が現れる。

キラキラと輝く大地で
君と抱き合いたい
この世界に真っ赤なジャムを塗って
食べようとするやつがいても

ここはさらに唐突だ。
「この世界に真っ赤なジャムを塗って食べようとするやつ」とは、なんなんだ?
冷静に考えると、誰にもそれは分からないのだ。

この曲のタイトルは『JAM』だ。カタカナの『ジャム』じゃない。
なぜ『ジャム』じゃなかったんだろう?それでいて、最も唐突で曖昧なこのフレーズをさらに曖昧にした『JAM』をタイトルにしたのだろう?

それは、「彼」が、このフレーズの曖昧さに自覚的だからだと考えている。
この世界に真っ赤なジャムを塗る明確な悪いやつなんて、どこにもいないのかもしれない。
でも、いないと断言するには世界はあまりにもおかしい。
あまりにもおかしい世界で、それでも、自分はここにいる。
「君」を思う。

たとえ世界が終わろうとも
二人の愛は変わらずに

あまりにも抽象的だ。
それでいて、強い願い。

外国で飛行機が落ちました
ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」
「いませんでした」

最も有名なこのフレーズ。
本当に「嬉しそう」だったのかは誰にも分からない。
それは「彼」にだけそう見えたのかもしれない。
けれど、確かに「彼」にはそう見えたのだ。
そこに「彼」を取り囲む、曖昧な世界の不条理……赤い『JAM』を塗って食べようとする「何か」の存在を感じ取った。
そいつは、何者なのか分からない。
けれど、多分、存在している。

この曲で最も重要なのは、このあとのフレーズだ。

僕は何を思えば良いんだろう
僕は何て言えば良いんだろう
こんな夜は逢いたくて逢いたくて逢いたくて
君に逢いたくて君に逢いたくて
また明日を待ってる

曖昧で不条理な世界、そこにいる自分。
だけど「君に逢いたい」、この願いだけは、気持ちだけは、本物だ。
確かな「君」を感じたい。
そんな「自分」が、確かにここにいる。
この曲は、そんな「祈り」の曲なのだ。

あえてスルーしてきたが、この曲のサビで最も繰り返されるフレーズ。

Good night

「おやすみなさい」。
これは「君」の安らかな眠りを「祈り」、自分の安らかな眠りを「祈り」、世界の安らかな眠りを「祈る」言葉だ。

この曲は、あてのない祈りの曲だ。
この時代に、この国に必要なのは、「祈り」なのだ、と。
そう僕は解釈している。

世界は相変わらず曖昧だ。「ジャムを塗って食べようとするやつ」まみれだ。
でも、大事なのは、「ジャムを塗って食べようとするやつ」を認識する、ここにいる「自分」なのだ。
「世界」「ジャムを塗って食べようとするやつ」に比べて、「自分」は常に無力だ。
それでも、祈ることはできる。
それは決して無力を意味しない。

今夜は良い夜を。おやすみなさい。
ではまた。

※ヘッダ画像は公式サイトより。

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